前座仕事の内容や苦悩について綴っていただいている笑福亭里光師匠。
一番下っ端である「お茶くみ」を卒業したら狭間の前座と姿を変えます。協会による呼称の違いもあるそうですよ。
しかし「お茶くみ」を卒業した笑福亭里光師匠は一喜一憂しているみたいです…。
狭間の前座
こんにちは。
笑福亭里光です。
新型コロナがまだ落ち着きませんね。
まぁウイルス自体はまず無くなりませんからね、人間のやつらに対する考えの方を変えないといけないのかもしれません。
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2年もの間続いた「お茶くみ」がようやく終わりました。卒業したんです。
別に誰かにお墨付きをもらうとか、そういうわけではありませんよ。
「顔付け」と呼ばれる、出番や担当するお囃子さんや前座が印刷された紙を見て「一番下じゃない!」と勝手に喜ぶわけです。
体調不良とか身内の不幸とか、後輩に休まれたりすると回ってはきましたけれど。
そういや、あいつはやたら身内が多かったな・・(笑)
でもそれはあくまで一時的なもんですからね。
その日を乗り切れば終わる。
「いつでも何処でもお茶くみ」ではないというのが嬉しいんです。この上なく嬉しい。
一段階上がる。過酷な労働から解放される。
「立て前座」と「お茶くみ」の説明はもう不要ですね。
その間の位置を何と呼ぶんやろう?
落語協会は「太鼓番」とか言ったりするらしいですけど。
芸協(落語芸術協会)には名称が無かった。
仮に「狭間の前座」とでもしておきましょうか。
仕事(あくまで修行ではありますが)としては具体的には着付け・(着物の)畳み・太鼓でしょうか。
これらを手分けしてやる。
僕が入った時は、前にも書いたように前座の人数が多かったんです。
「立て前座」と「お茶くみ」は1人ずつですから、人数が多いということは「狭間の前座」も沢山いるということになる。
仕事の数以上に人数がいたわけです。
サボってましたよ~こっそりタバコ吸いに行ったり(原則前座は吸ってはいけない)、
メシ食いに行く奴もいてましたね。
で、シレっと帰って来て着物の1枚も畳んで、またサボりに行く。
楽屋にはおっかない先輩方が多かったですからね、少しでも(楽屋を)抜け出せるのは羨ましかったもんです。
僕は不器用なのであそこまではサボれないけど、少しはやってやろう!と心に誓いました。
そしていよいよ待望の狭間前座です。どれだけ待ち望んだことか!
これも前回書きましたが、僕の下にはなかなか入ってこなかったんですね(ちなみに僕のちょい先輩方の時代は一時期に数人まとめて入ったりしてました)。
そうこうするうちに、その先輩方がボチボチ二ツ目になり始めたんです。
段々人数が減っていったんです!
そうなると自然と「狭間の前座」も少なくなっていきますわね。
立て前座とお茶くみと狭間と3人なんてことも多発するように。
そうなるとサボってはいられない。
真面目に働かなくてはならない!?
「狭間のうま味」が享受できなくなったんですよ!!
タイミングが悪いというか・・自分の運命を呪いました。