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【追悼】④コンビがトリオに~林家市楼師匠と共に過ごした時間:ふじかわ陽子

ふじかわ陽子

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平成13年12月19日入門の林家市楼師匠。年季中から当時上方講談師をしていたふじかわ陽子と一緒に、近畿一円で小学生向け演芸会「お話会」で笑いを届けておられました。今回はそのお話会でのハプニングについてお話させてください。

なお、この記事では林家市楼師匠を友人として描きたいため、敬称を「くん」とさせていただきます。他、登場する芸人さんたちも、ふじかわ陽子が普段使用している敬称にさせてください。

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コンビがトリオに

小学生向けのお話会は楽しい仕事ではあるが、問題点もあった。それはギャラが安いこと。学習塾にしろ自治体にしろ、レクリエーションに多額の予算は割けない。その代わりにとお土産をいただくこともしばしば。多くが実用品で、とても助かった。

ただ、困った物をいただいたこともある。それは漬物だ。しかも真夏の午前にいただいた。その日は私も市楼くんも午後から別の仕事があり、夜まで帰宅できない状態。腐らせてしまう。

何より重たい。私は衣装だけでなく釈台や毛氈も持ち歩いていたため、荷物の総重量は30キロを超えていた。夏の強い日差しが照り付ける駅のホーム、どうしたものかと二人で悩む。悩んでいる間も、容赦なく太陽はジリジリと強い光を漬物に浴びせかけた。このままでは…。

すると、市楼くんがおもむろにビニール袋を破いて、漬物を一つ取り出した。そして口の中に放り込んだ。バリバリバリバリ

「うん、美味い。これで感謝は伝わった」

私も一つ口にする。バリバリバリバリ。残りは手を合わせて、そっと駅のゴミ箱に捨てさせてもらった。本当に申し訳ない。駅員さんにもごめんなさい。でも、ほんま、生ものは困るんです。

出る順番を決めるジャンケンは、毎回公開で…ということにしていたが裏で決めていた(クリックで拡大)

そんなこんなもありつつも、順調に市楼くんと二人でお話会を続けさせてもらっていた。しかし、事件が起きる。我々のコンビがトリオになったのだ。

その現場となったのは、大阪市内にあるとある学習塾。平成14年12月に初めて呼んでいただいた学習塾で、その時は私一人でうかがった。私は毎回、観客である小学生にアンケートを書いてもらっているのだが、その中の一人が不思議なことを書いていることに気付く。学年を書く欄には「小学4年生」とあるにも関わらず、好きな芸能人は「三代目桂春団治」。何事だ?

私は元・師匠に雑談で「こんなことありました」と報告。元・師匠は、「多分、梅団治んとこのせがれやで」と教えてくださった。程なくして梅団治師匠から電話をちょうだいする。

「来年から、うちのせがれを前で使つこてんか」

断れるはずもない。どうなることやら、と思いつつも了承する。市楼くんにも報告。かくかくしかじか、まさか梅団治師匠の息子さんが客席にいるとは…。

「何で分からんねん。顔見たら分かるやろ」

分かるかい!

『代書屋』の「一行抹消」の場面(クリックで拡大)

時は過ぎ1年後、その学習塾で再びお話会が開催された。出演は私たち二人と、梅団治師匠の息子さん。その息子さんこそ、現在、噺家として活躍する桂小梅くんだ。

まあ上手なこと。小学4年生とは思えない堂々とした高座で、とても頼もしい。お友達を笑わすのは難しいだろうに、本当に良い高座だった。人を褒めたら死んでしまう性質の市楼くんも、小梅くんを褒める。もしかすると、これが今回の死因なのかもしれない。

小梅くんがいるお話会は楽しいものの、梅団治師匠が袖からジッと見つめておられるので緊張した。普段の寄席でやらないような歌や手遊びをしているため、気恥ずかしさもある。市楼くんは逆に張り切っていた。なんやろね。好きな人の前では頑張るんかしら。

トリオのお話会は、小梅くんが小学校を卒業するまで2年間続いた。毎回大盛況!

小梅くん、あの時は有難う。楽しい時間でした。

つづく

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