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青森県落語ツアーをした僕は、太宰治の【津軽】を読む~SFと落語と童貞:笑福亭羽光

笑福亭羽光

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青森県落語ツアーをした僕は、太宰治の【津軽】を読む

2024年7月末。51歳の僕は青森県へのツアーを行った。
一人の主催者が、各地の主催者につないでくれて、7泊8日の、落語ツアーを実現したのだ。
初日、福島市のパセナカミッセ2階、パセオルームで夕方落語会。この会は若手で不定期で開催している会である。
一泊し、盛岡に向かう。冷麺を食べる。かなり高級な物で噛みきれなかった。老いを感じる。
盛岡の浅沼商店という居酒屋で、落語会。常連さんであふれている。お客様同士が知り合いなので、開演前から凄い盛り上がりで、酒が回っている。
飲酒している場所なので、【俳優】の他に、私小説落語の【悲しみの歌】【青春編2】というエロ系のネタも受け入れてくれた。
終演後の店の常連さんとの打ち上げが楽しい。


ホテルで一泊し、翌日、どうしても行ってみたかった遠野に連れてってもらう。
柳田国男【遠野物語】には、かなり衝撃を受けた。遠野は、この世とあの世の間で、妖怪や怖い物が居るイメージだった。
あいにくの大雨のである。町には人は誰も歩いていない。道路から離れなかったせいもあるだろうが、普通の舗装された街並みである。しかし、ほとんど人を見かけなかった。遠野博物館でオシラ様の人形や解説映像を観る。
庄屋の娘と馬とが恋人同士になり、逆上した父親は馬を殺すという悲恋の物語は、その後、人形にして祭ったり、伝承として残り続けた。
蕎麦を食べて、八戸に移動する。

八戸の書店GERONIMOは、未だオープンしていない書店喫茶で、大変知的な空間だった。
お客様も、店長が知り合いを呼んでくれた。
リクエストいただいていた【ペラペラ王国】もかなり反応もよかった。
その日、僕は確信した。地域とか年齢関係なく、小説やアートが好きな人に僕の新作落語は気に入っていただけることを。

その日のうちに、大雨の中、青森に移動した。
翌日、昼2時開演で青森県立美術館で「つらい」をテーマにした落語会。
主催者が集めてくれたお客様と、県内の落語ファンが集まってくれた。
【落語家変身譚】を最後にやった。

2日間、予定があく。
斜陽館という太宰治の記念館を観光し、立佞武多を見学し、アスパムというかつて昇々兄さんと2人会を行った建物も行ってみた。
主催者の知り合い数人とバーベキューに参加した。
ねぶた祭の直前ということもあるのだろう。
青森の人達が精神的に盛り上がっているのが判る。本来物静かなタイプであろう人も、高揚しているのを感じる。
バーベキュー、炭がしけっていたので、中々最初火が付かず難儀したが、それも良い経験だった。


7月31日
黒石市の松の湯交流館。という銭湯で、番台を高座にして落語会。15時半開演だった。
【ニューシネマパラダイス】という落語の予告編を最初にするが、かなり滑る。
どうせ受けないなら……と、やけくそになった僕は、【私小説落語~月の光編】をハード版で口演する。エロ本のタイトルを連呼する場面があるのだが、そのエロ本のタイトルが、ソフト版は、〈ぽっちゃり熟女のエキサイティングハリケーン〉で、ハード版は〈ぽっちゃり熟女のあなるセックスハリケーン〉だ。
静かな銭湯の空間に、僕の〈あなる〉という言葉が寂しく響き渡った。

 翌日8月1日、僕は新幹線に乗って帰路についた。去る時、青森が好きになりすぎていることに気づいて、何故か涙ぐんでしまった。
青森で出会った人たちは、若い人、本好きの人が多かったせいか、かなり気があう人達だった。どちらかというと物静かで、暗さを内包している。
僕は、青森に夏しか来たことがない。冬は積雪していて、寒いから来たら嫌になるかもしれないが、来てみたい。


二つ目時代、色んなツアーをしてきた。昇々兄さんや、小笑兄さんと共に落語旅したこともあるし、一人の時もあった。その度に、今、僕は青春している、思春期の時と変わらぬ精神構造を持っている……と感じてきた。51歳である僕は、今回も青春を感じられた。いつまでそのような感覚を味わえるだろう。

帰宅後、太宰治【津軽】を読んでみた。
ルポ風の小説。太平洋戦争末期、自分の生まれ育った津軽半島をきちんと見てみようと、著者自身が過去自分の世話なった人や関わった人を訪ね歩く。素朴な人達にふれながら著者は、人生に希望を見出していく。
物語のラスト、太宰は自分を育ててくれた乳母と念願の再開をする。
乳母と並んで小学校の運動会を、観る。2人の間に言葉は無い。しかし、その瞬間、太宰はこれこそが平和だと感じる。
最後に、読者への励ましのメッセージで物語は締めくくられる。
書かれた時期が、第二次大戦末期である事実を読者である僕は知っているので、乳母との再会シーンからラストの言葉が、大きな意味を持って響いて来る。
僕は、【津軽】を読みながら、雨ばかりだったが心は常に熱かった、あの青森の夏を思い出していた。

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