上野広小路亭へのちの師匠になる笑福亭鶴光師匠を尋ねた若き日の里光師匠。まさかあの「鶴光」がロビーでお客さんのお見送りをするなんてと度肝を抜かれます。そして、ようやく、鶴光師匠とお話する瞬間が…。
舞台はデフレ経済まっさなかの平成10年(1998)、現代では就職氷河期と呼ばれる時代に里光師匠は入門をしました。さてはてどうなるのでしょうか。上方落語家で初めて東京修業をした笑福亭里光師匠の自叙伝、第3回のスタートです。
謎の罪悪感
こんにちは。笑福亭里光です。
「カタギに戻る機会」を奪われた僕は、頭の中が混乱したまま最後のお客様との挨拶が済むのを待って笑福亭鶴光の目の前に立ちました。
「あのう、お手紙書きました堀(僕の本名)といいます」
自分でも考えられないくらい落ち着いていました。腹も座ってました。松坂屋で買い物してる時とはエラい違いです。変に冷静になる暇が無かったからでしょうか。
師匠は僕がいるの分かってて、わざとお客様のお見送りをしたのかも。
これはもしや鶴光の優しさなのでは!?
人間ってのは勝手に良い方に捉えるもんです。後にそんなことは絶対にあり得ないと気付くのですが(笑)
「君かいな。次いつ来るねん?」
師匠の僕に対する第一声です。
僕の頭はまたまた混乱します。
だってそうでしょう?
色んな人の弟子入り秘話とか聞くと、断られたけど何度も通ってようやく入門を許されたとか。世間にはそんな話ばかり転がっている。最初は当然断られると思っていたんです。その覚悟は出来てた。
それなのに「次いつ来るねん?」ですよ!
訳が分からず戸惑っていると「ま、とりあえず座って待っててや」。お客さんのいないロビーの椅子に座って待つよう指示されました。
一旦楽屋に戻った師匠。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の瞬間でした。楽屋から前座さんらしき声が。「これで24人目よ!!」僕の入ったのは1998年。数年前から入門ラッシュだったんですね。
今と違って、落語なんか世間では全く取り上げてくれなかった。それなのに入門者はやたら居たんですねぇ。謎の現象です。
東京の寄席では一門に関係なく「前座」が毎日詰める。楽屋は狭いのに全員いなければならない。昼夜で分かれるとしても、10数人同じ空間にいなければならない訳です。
そりゃ多いわな…
そんな事情なんか知るはずもない僕は、急に悪いことをしている気分に。弟子入りするのに何で罪悪感を感じなアカンねん!??
そうこうしてるうちに師匠が戻ってきました。何故か瀧川鯉昇師匠も一緒。
「次いつ来るねん?」
師匠は浅草演芸ホールの出番が10日間ありました。その中で都合の良い日に来いと。そこでは次の日程しか話さなかったように記憶してます。
あと何か喋ったかな??
あ、そうそう、曖昧な記憶の中、鯉昇師匠の複雑な表情だけは脳裏に焼き付いてます。
「ほなまあ浅草でな」
次に浅草演芸ホールに僕が訪ねて行く日を決めて師匠は立ち去りました。
果たして入門を許されたのか否か!?判らないまま帰宅の途につきました。
そしてそれは今でも判らないままなのです。