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浪速の春団治は誰?~四方山話:笑福亭仁昇

笑福亭仁昇
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昭和の時代、テレビの花形といえばプロ野球中継ではないでしょうか。

笑福亭仁昇師匠もまた、プロ野球中継に夢中になったのだそう。応援するチームは、もちろん阪神タイガース!

その阪神タイガースにまつわる思い出と、ある疑問について仁昇師匠につづっていただきました。その疑問とは…?

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浪速の春団治は誰?

 我が阪神タイガースの歌といえば、『六甲おろし』。これは通称。戦前から歌い継がれている唯一の球団歌だそうだ。ファン以外の人でも耳にしたことがあると思われる、あの歌。

 オウ オウ オウオウ 阪神タイガース フレ フレフレフレ は有名なフレーズ。ところが元々は、ここの歌詞は、

 オウ オウ オウオウ 大阪タイガース フレ フレフレフレ と韻を踏んでいた。

 毎試合、大観衆で大合唱されている。入場券の入手も難しいと言われている。ところが、以前はそうではなかった、と聞く。

 サンテレビ(UHF)で甲子園球場からの阪神戦生中継が始まったのは、昭和44(1969)年5月6日。その頃の映像には、巨人戦以外の外野席がガラガラ状態の試合もあったようだ。

 それでもファンが忘れない数々の試合中継もあった。

 昭和48(1973)年8月30日の、対中日戦。この日、江夏豊投手が、延長戦でノーヒットノーランとサヨナラ本塁打を記録した。観衆は9000人で、映像には空席が多い。この頃の江夏投手は絶好調で、氏のマウンドの姿をファンは忘れない。

 そして同年10月22日(月)の試合。勝ったチームがセ・リーグ優勝するという対巨人戦。阪神は0-9で大敗で、巨人に9連覇を決められた。試合後にはファンの大暴動もあった。ファンにとっての大屈辱の中継だった。


 昭和39(1964)年の優勝を最後に、暗黒の時代が続く。

 ドラフト会議では、昭和41(1966)年に江夏氏、昭和43(1968)年に田淵氏が入団。大型新人の加入で、リーグ成績2位3位になるが一歩及ばなかった。子供には理解できない出来事も続いた。

 昭和51(1976)年、江夏投手をトレードで放出。昭和53(1978)年、田淵捕手をトレード放出。


 時は流れて、いきなり稲妻のように轟いたのが昭和60(1985)年4月17日。甲子園での対巨人戦バックスクリーン3連発。

 この年リーグ優勝どころか、日本シリーズも制覇し日本一!全国の阪神ファンは万歳の大合唱。ただ私は蚊帳の外。その時は仁鶴での修行中で付人。カバン持ちをしていた。大声を出すのも憚られる身分だった。

 現在はその時の映像を見ながらビールを飲むのが至宝の時としている。

 それで阪神の不思議がある。川藤幸三氏が「浪速の春団治」と、なぜ呼ばれているのか?生前の三代目桂春団治師匠がおっしゃっていた。

「浪速の春団治は僕なんだがなぁ」と。

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