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師匠三代目桂春団治と見た風景~③春団治志ん朝二人会~桂春若

桂春若

平成7年、阪神淡路大震災が起きた年。つらい時こそ笑いたいと思う人々、そして三代目桂春団治師匠と古今亭志ん朝師匠の思いが詰まった二人会が開催されました。

この取次ぎをしたのが、このコラム執筆者である桂春若師匠だったそうです。三代目桂春団治師匠65歳、古今亭志ん朝師匠は57歳。そして、春若師匠44歳でした。

今回も必見です。お楽しみください。

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3春団治志ん朝二人会

毎年神戸文化ホールで「東西落語名人選」が開催されています。

当時、大阪は四天王(松鶴、米朝、文枝、春団治)が中心。東京からは、【昭和の名人】六代目三遊亭円生師匠、【人間国宝】五代目柳家小さん師匠も来神されていました。

そして江戸のレギュラーは、古今亭志ん朝師匠です。この会では志ん朝師匠と春団治はよく出番が続いていました。

ある時、志ん朝師匠の高座を袖でスタンバイして聴いていた春団治が私に「志ん朝君のアトに出んのは怖いナァー。わしが怖いのは、志ん朝君のアトに出るときだけや」…と

平成6年『名人選』が終わって志ん朝師匠が来ていた若手に「電車まで一寸時間があるの付き合ってくれない?」喜んでついていきました。

その席で志ん朝師匠が私に「米朝師匠も文枝師匠も二人会は演ってくれるんですが、三代目師匠とは演ってないんです。演りたいんですが……」

春団治宅へ行きました。

「師匠、志ん朝師匠と二人会演りませんか?」

「お前、わしが独演会や二人会が嫌いなん知ってるやろ」

「知ってますけど、志ん朝師匠が云うてくれてるんですよ」

「ほな、お前に任すわ。」

早速志ん朝師匠に電話

「正月は初席と2の席は必ず出番が入るから、下席なら」

というご返事で平成7年1月31日に決まりました。

その平成7年の1月17日に、あの阪神淡路大震災がありました。公演開催も危ぶまれたんですが何とか出来ました。

桂春若師匠所蔵『ひらかた文化、1995年1月号』
クリックすると拡大します

当日は雪の降る寒い日、それでもお客さんは約1000人の入り。志ん朝師匠は『二番煎じ』と『野ざらし』。春団治は『野崎詣り』と『代書屋』。

打ち上げで志ん朝師匠が春団治にいきなり

「師匠『野崎詣り』何百回と聴かせていただいてますが、今日のんが1番でした」と

私の前に座っていた春団治が、少し照れながら喜んで笑っていました。

春団治は、なんとも笑顔がいいんです。これは談志師匠も本に書いておられます。ご機嫌で春団治が梅田で2次会に連れてくれました。

私と松葉君(七代目松鶴)で、志ん朝師匠の定宿「ホテル日航大阪」へ送っていく時、タクシー内で「今日はいろいろとありがとうございました」とお礼を云いますと志ん朝師匠が、

「殿がご機嫌だったらいいの。良かったね」と……

平成7年1月31日いい思い出です。

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次回予告

桂春若師匠の次回コラムは、7月4日20時公開予定です。上方では戦後長く落語専門の寄席がない状態が続いていました。島之内教会で落語専門の寄席を復活させたのは六代目笑福亭松鶴師匠です。その当時の様子を春若師匠に振り返っていただきました。お楽しみに。

桂春若師匠への応援メッセージは、寄席つむぎまでお寄せください。責任をもってお届けします。

執筆者
桂春若

昭和26年、大阪府泉佐野市に誕生
昭和45年3月三代目桂春団治に入門、四番弟子
年齢を重ねるごとに深まる円熟味と、名前の通り若々しさが同居した王道をいく上方落語家。師匠譲りの端正な語り口と弾けるような笑顔に定評がある。競艇にも造詣が深く、長く住之江競艇場の馴染みの声。南海ホークスをこよなく愛している。気さくな人柄で偉ぶることがないため、人望が厚い。

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寄席つむぎ