落語の稽古は落語家にとって大切な仕事。稽古方法は一門によって様々で、桂枝女太師匠の師匠である小文枝師匠(当時)はこのような稽古をされていたそうです。さて、どのようなものだったのでしょうか。
懐かしい思い出が何だか切ない、桂枝女太師匠の思い出コラム第7回のスタートです。お楽しみください!
稽古その1
落語家の弟子の修行期間は通常3年間だ。
もちろん諸々の事情で2年半ぐらいで終わることや4年ぐらいかかることもある。
「芸人は一生修行」という言葉もあるが、それは本人が心の中で思うことで、弟子の修行期間というものはだいたい3年だ。
3年経って修行期間が終わることを「年季明け」という。年季が明ければとりあえずは一人前(芸は半人前にも満たないが)ということになる。
年季明けの落語家については今後で書くことになると思うが、この3年間の修行期間にある程度の落語を覚えなければならない。これは当然のことで、弟子の大事な仕事は師匠のお世話と前に書いたが、別に師匠のお世話をするために噺家になったわけではない。本当に一番大切なのは落語の稽古だ。
通常、3年間の修行期間中に10本から15本ぐらいの落語を覚える。年間3本から5本。少ないように思えるかも知れないが、ただ覚えるだけではない。人前で演じることにある程度耐えられる落語に仕立てなければならない。
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皆さんは落語の稽古ってどうやるものだと思いますか?
なんとなくイメージとしては、師匠と向き合って正座し、師匠が少し喋ってそれを弟子がまねをする。それを何回か繰り返していくうちに覚えていく。まぁこんなところでないか。
こういう稽古方法はたしかにある。というより稽古の王道といってもいいかもしれない。
「三べん稽古」という言葉がある。これは師匠が落語の一節、あるいは全部を弟子の前で3回喋る。その後弟子が同じように喋る。つまり3回聞いて覚えろというわけだ。
無理。覚えられるわけがない。
一節ならば覚えられないことはない。しかし全部となると絶対に無理だ。普通落語は15分から20分ぐらいのネタが多い。短くても10分ぐらいはある。
通常原稿用紙1枚の文章を読むのに1分かかるといわれている。落語は普通の文章のようにビッシリ書き込まれるわけではないが、間というものもあるのでやはり原稿用紙1枚で1分ぐらいの計算になる。つまり15分の落語なら原稿用紙15枚分だ。
原稿用紙15枚分の文章、3回で覚えられますか。
この「三べん稽古」というのは現実的ではないのだが、そのぐらいの真剣さで師匠の落語を聞く、これは当たり前のことだ。
実際は何度も何度も師匠に「違う!こうや・・・違う!わしそんなこと言うてへんやろ!・・・違うっちゅうてんのに!!!」などと怒られながら相当な時間をかけて覚えていくことになる。
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私も入門前はそういう稽古が待っているんだろうなと思っていた。オチケンのときには落語に関する本を読み漁り、落語家の世界とはどういうものかおぼろげながらに理解していた。いや、理解していたつもりだった。
師匠との向き合っての稽古。そういうものに憧れも抱いていた。
オチケン時代の、つまりアマチュア時代の稽古は全然違ったものだ。いくらオチケンでも先輩が面と向かって稽古をつけてくれるなんてことはない。大学のオチケンのことはわからないが、少なくとも高校レベルのオチケンではそれは無理というものだ。
ではどんな稽古をしていたか。ひたすらテープを聞く、ネタ本を読む。これしかない。
何回も何回も聞いて丸暗記する。20分の落語を丸暗記するのは大変だが、そこは好きなものには心を奪われるというのか、若かったということもあり結構なペースで覚えていった。
丸暗記というのはただ台詞を暗記するだけではない。間や声の強弱、その落語家のクセまで真似をするということになる。出来上がった落語はテキストにした落語家の丸々コピーだ。
自分の芸とか個性とか、そういうものはほとんど表現できていない。しかし人前で演じればそこそこ受けるし、上手いとも言ってもらえる。それはそうだろう、プロのコピーなんだから。
しかし自分がプロになればそれでは通用しないし、稽古の方法もまったく違う。師匠の仕事の合間をぬって毎日数時間の落語の稽古。そういう風景を思い浮かべて入門したが現実はまったく違った。
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これは師匠によるのだが、うちの師匠はまったく稽古というものをしてくれない。まったくというのは誇張でもなんでもなく、本当にまったくしてくれない。いや正確に言えばこちらからお願いしないかぎり絶対に師匠の方から稽古をしようとは言ってくれないのだ。
兄弟子たちの頃はそうでもなかったのかも知れない。しかし私が入門した頃にはそうなっていた。こちらからお願いしないかぎり、毎日毎日師匠の運転手や鞄持ちをするだけの生活。これではネタなど増えない。
入門して数ヶ月がたったある日、師匠が
「おまえもずっとわしに付いてんねんさかい、いつもやってるネタは稽古なんかつけんでもできるようになってなあかんで」。
来た!と思った。
落語を覚える努力はしているのかということだ。
「四人ぐせと鹿政談はしっかり覚えました」
「ほないっぺんやってみ」
「はい」
通常、稽古のときは浴衣などに着替えてするものだが、このときは緊急だったので普段着のまま、その場で師匠の前で二席喋らせてもらった。
結果は・・・「うん、まぁそんなもんやろ」
ほっとした。ただただ間違えずにできただけだったが、とにもかくにも、師匠に初めて稽古をつけてもらった瞬間だった。