昭和47年11月8日に杮落し公演が行われた「神戸柳笑亭」。今見るととても豪華な出演者の寄席でした。この日を皮切りに、「もとまち寄席恋雅亭」と名称を変えながらも令和2年4月まで48年間続きました。
柳笑亭にまつわるドラマも多くあったそうですよ。そのことについて桂春若師匠の振り返っていただきました。
神戸柳笑亭その2
杮落しの顔ぶれ、スゴイでしょ。ベテランばっかりですよ?上方落語協会会長が前座ですから……。
神戸柳笑亭は、昔どこにでもあったというような雰囲気のある小さな寄席でした。
表は当日出演する落語家の名前を吊るし、真打(トリ)の師匠だけ大きな木製の看板が置いてありました。
入口を入って履物を預け、下足札を貰って上がると畳敷き。木で造った煙草盆も置いてました。
一番前のお客さんと演者の距離は1メートルもありません。今なら三密、すべてに引っ掛かります。
公演は基本的に毎月11日~15日までの5日間。近くに神戸松竹座という1000人以上入る大きな劇場がありました。今の新開地「喜楽館」の向かいです。
松竹座出番の落語家は、交通費の関係もあり優先出演。歩いて10分ちょっとです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神戸でも松鶴師匠は陣頭指揮。バス停前の木戸の処にデンと座り、呼び込みをされていました。
我々若手の楽しみは寄席が終演てからの打ち上げ。新開地のお好み焼き屋「よっちゃん」でお酒を御馳走になり、そして近くの【お風呂】に連れて行ってくれます。
≪いろは≫≪暖流≫≪王将≫etc.…いやあ楽しかった。
仲でも一番喜んでいたんは、笑福亭鶴瓶さんです。
ある時、それぞれがコトを終えて待合へ戻ると、トラブってます。
「何?」「どうしたん?」
お金が足らんと云うのです。
松鶴師匠がその日払ってくれはったんは入浴料だけ。アトは自分でと……。
「えっ」「どうしようどうしよう」と皆が気を揉んでおりますと、鶴瓶さんが下りて来ました。(いつも一番最後です。楽しんでるんでしょ)
訳を話すと「ほな、ボク一寸(交渉に)行ってきます」
しばらくすると鶴瓶さんがニコニコしながら
「大丈夫です。ある金だけでええみたいです」
聞いてみると、彼は店のお姉さんとか一寸怖そうなお兄さん相手に喋って笑わしたらしいです。
それがあんまり面白いんで店の人が「こんだけ笑わして貰うたから、今日はもうまけといたる」と。
粋な人達です。
これはもう≪才能≫です。当時から彼は人、周りを笑わせる≪技術≫≪芸≫を持っていました。
後年、こんなことがあったんです。
彼が新しく出来た新開地「喜楽館」へ出演するので、友人に「観に来て」と連絡しました。
当日、その友人から電話。
「今、新開地へ来て捜してんねんけど、≪快楽館≫なんか無いぞ」
「≪快楽館≫ちがうがな。喜楽館や。何考えとんね」
面白い人のまわりには、面白い人間が集まるようです。