東京で上方落語家の笑福亭鶴光師匠に弟子入りをした笑福亭里光師匠。新宿末廣亭や浅草演芸ホールで着物の着方や畳み方を教えていただいた後、『寿限無』を覚えるよう笑福亭鶴光師匠からカセットテープを渡されたそうです。「カセットテープ」というのが時代を感じます。
覚えたあと、いよいよ初めて差し向いでのお稽古です。今回はこのお稽古のエピソード。ちょっと胃が痛くなる笑福亭里光師匠の自叙伝第8回、スタートです。お楽しみください!
ルール違反
こんにちは。笑福亭里光です。
「ほな、やってみ!」
目の前で胡坐をかいた師匠が言いました。あっけない稽古の幕開けです。僕は浴衣で正座しています。
上手く喋ることができたんでしょうか?
つっかえずに喋ることができたんでしょうか??
全く記憶がありません。それほど緊張していたということでしょう。
唯一覚えていることは・・寿限無って、こんなに面白い噺やったっけ!?
師匠が手本を見せてくれたんです。そりゃ真剣になって見ますわな。
後半部分ですよ。寿限無寿限無~と長い名前を繰り返していくところ。
大爆笑してしまったんです。
学生の頃あれだけ馬鹿にしていた噺に。笑福亭鶴光の『寿限無』に大爆笑していた。まるで稽古をしていることすら忘れてしまったかのように。まるで寄席の客席で聴いているかのように。
稽古中に笑うもんじゃない。
このことは何かの情報で知ってはいました。まぁ真剣にやってることですからね、普通は笑おうったって笑えないもんですが。
そこを笑ってしまった。
あれだけド緊張してる人を笑わせることができる。あれだけ(噺を)馬鹿にしてる人を笑わせることができる。
この人に弟子入りして良かった!と思えた瞬間でした。
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余談ですが、子どもの頃に初めて読んだ落語の本の一発目が『寿限無』でした。たしか柳亭燕路師匠(たぶん先代)の『こども落語』という本です。その時に感じた面白さが蘇ってきました。
そう、あの時は純粋に寿限無を楽しんでいたんです。
いつの間にか「あんなもの!」と見下すようになってしまってたんですね。あの稽古は、なにか原点に帰されたような気がします。
その絵本を読んだ数年前ですかね、初めて落語を聴いたのは。小学校3年生か4年生くらいやったかなぁ。母親が落語好きでして、母が聴いてるラジオから落語が流れていたんです。当時はまだ落語そのものを流す番組が結構あったんですね。
桂小南師匠(こちらも先代)の『代書屋』でした。
アホな客が代書屋さんに入ってきたところ、店主が「まぁおかけ(座れ)」と言うんです。その後、一瞬間があって「走り回るんやない!」とくる。アホが狭い店の中を一生懸命駆けずり回ってる画が頭に浮かんで非常に面白かった。
ちなみに先代小南師匠は京都の出身なんです。東京で噺家になったんですが、訛りが抜けず、上方の噺をするようになって売れた。
東京で上方落語。縁を感じます。勝手な話ですけどね。
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話を元に戻しましょう。
初稽古で大爆笑。
ルール違反ではありますが、それだけ鶴光落語が凄いということの証明です。
ずいぶん後になってですが、師匠が誰かに言ったんですよ。誰にどういうシチュエーションで言ったかは覚えてないんですが。
「こいつ初稽古の時に笑いよってん。稽古中に笑うなんて何て奴や!」
その時の師匠の顔は満更でもない笑顔でした。