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本妻の弟子から師匠鶴光へ~特別寄稿:笑福亭学光

笑福亭学光

この『寄席つむぎ』開始時から、毎週月曜日に思い出を連載してくださった笑福亭鶴光師匠。その笑福亭鶴光師匠の一番弟子の笑福亭学光師匠が、『寄席つむぎ』に寄稿してくださいました。六代目笑福亭松鶴師匠との思い出をつづってくださった、笑福亭鶴光師匠との思い出です。色々と複雑な思い出のようです……。

他の一門とは一風違う鶴光一門。その秘密が少し分かるかも?笑福亭学光師匠の思い出、お楽しみください!

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本妻の弟子から師匠鶴光へ

私が師匠鶴光に入門したのは昭和50年だ。入門のお願いに大阪市住吉区のご自宅に行ったときには、もうすでに一人の高校生「鳥飼達夫」くんがいた。後の嘉門達夫である。

『平林』という落語をテープにいれて持参したが、聞いてくれることもなく車の免許があるということだけで入門のお許しを頂いた。

それから運転手を8年近くもすることになる。もちろん運転免許をもった弟子も入っては来るが、長続きせず結局8年運転手を続けた。

その当時師匠はもう売れっ子でMBS「ヤングタウン」ニッポン放送「オールナイトニッポン」MBS「スタジオ2時」日本テレビ「それは秘密です」等等、東京と大阪往復の毎日。ほとんど自宅には帰ってこず、帰ってもすぐ飛び出しで落語のお稽古はほとんどなかった。新大阪や伊丹空港に送り迎えの日々。

その師匠が住む住吉で「三菱銀行人質事件」があった。三菱銀行北畠支店に猟銃をもった男が行員30人を人質に立てこもった為、師匠の家に帰るのも大変だったことを覚えている。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

しばらくして住吉から今の吹田市千里丘に引っ越す。

千里丘にはいろんなお客様が来られた。松鶴師匠はもちろん、師匠の兄弟子の仁鶴師匠、大村崑師匠、林家こん平師匠、尾上菊五郎師匠・・・・・菊五郎師匠が来られた日がちょうど岡山からきた青江君の入門初日であったので「扇光(せんこう)」と名付けてもらった。

鳥飼達夫くんはまだ高校生なので土・日だけ師匠の家で修行し、「光茶こうちゃ」と自分で芸名をつけた。高校を卒業して正式に大師匠に報告すると松鶴が「あのな!鶴光、笑福亭は喫茶店やないのやさかいあきまへん」と言われ「笑光しょうこう」と松鶴師匠が名付けた。

私の「學光」は師匠の友人で漫画家の「はらたいら」さんである。私が徳島生まれ、はらさんが高知生まれと四国繋がりでかわいい名前をつけていただいた。

ありがたい名前ではあるが、弟弟子の落語家らしい名前が羨ましかった。が、「しょうこう」「せんこう」と二人並ぶとどうも験が悪いのか、二人とも辞めてしまった。

ただし、正式には師匠は「つるこう」ではなく「つるこ」で、私は「がっこう」ではなく「がっこ」だ。ということは笑光君は「しょうこう」でなく「しょうこ」扇光は「せんこう」でなく「せんこ」だったわけで、さほど験が悪くもなかったかもしれない。

笑光くんはヤングタウンのレギュラーになったのに破門になる。しかし、後に嘉門達夫で復活する。

ラジオといえば、私はオールナイトニッポンで「學光のドッキリマイク」というコーナーを頂きオールナイトデビューしオールナイトニッポンが終わるまでやらせてもらった。ありがたいことである。

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住吉から千里丘に引っ越しするときの話に戻るが、師匠が忙しいので新居の打ち合わせで奥さんが連日連夜千里丘までいった。運転手はもちろん私。

ある日住吉に帰るとき居眠り運転で事故を起こし救急車で病院に運ばれた。東京から帰ってきた師匠は奥さんに向かってこう言った。

「預かってる子やねんから無理さすな」

ちょっと嬉しかったが、その後も奥さんは懲りずに飲み会のある打ち合わせで千里丘にでかけた。

奥さんの成子さんはお芝居が好きなこともあり師匠は劇団を作ったことがある。「鶴光劇団」にはたくさん芝居好きの若者が集まってきた。松竹芸能の漫才さんや落語家さんをゲストに市民会館などを借りて興行を行なった。

千里丘での生活にも慣れたころ、師匠のレギュラーが減っていったがゴルフ・釣り・芝居と家でじっとすることはなかった。

ある日、チヌ釣りで日本海側の舞鶴市吉田というところに行った。師匠の筏は沢山連れたが奥さんの筏は釣れずふて寝をしていた。師匠は「あの筏、日本海に流れていったらいいのになあ」と私に言った。私もしゃれで「はい」と言ったら奥さんに破門にされて一か月近く家に入れてくれなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

暫くして、師匠はニッポン放送の夕方のレギュラーが決まり活動を東京に移した。鶴光劇団の劇団員もみんなバラバラになっていった。

師匠は東京の寄席にも出るようになった。新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場・・・上方真打という称号を頂きトリをとるようになっていき、次々と弟子志願者がきて今では東京に弟子が6人。今、彼らは東京の貴重な上方落語の演者として重宝されている。

一方、大阪は学光だけ。

ついには「學光は本妻の弟子で東京の弟子は愛人の弟子」と言われるようになる。

この弟弟子たちとは、年に一回だけ横浜にぎわい座で行われている一門会でしか会わない。それ以外、本妻の子である学光は大阪で寂しく細々と活動している。

師匠!本妻、本弟子?を大切に!!

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学光師匠出演≪出張!弁天寄席≫

26年間愛されたオーク弁天寄席が神保町に!

大阪市港区で1994年から2018年まで毎月第4水曜日に開催されていた「オーク弁天寄席」。ほのぼのとした寄席で、実に多くのお客さんに愛されました。その「オーク弁天寄席」が東京初上陸です!

春の麗らかな陽気とともに、ニコニコ笑いたい方におススメです。ぜひお越しください。お待ちしています。

出張!弁天寄席

日時:令和3年4月4日(日)18時開演、17時半開場

会場:らくごカフェ(東京都千代田神田神保町2-3 神田古書センター5階)

木戸銭:前売2500円、当日3000円、配信2000円(※配信URLは後日)

出演:笑福亭学光、旭堂南鱗、笑福亭里光、他

ご予約とお問い合わせ:info@yosetumugi.com 090-3940-0327

メールでのご予約はコチラから

執筆者
笑福亭学光

昭和29年、徳島県阿南市に誕生
昭和50年10月、笑福亭鶴光に入門、一番弟子
高校卒業後、徳島相互銀行(現・徳島大正銀行)に勤務ののち落語家に。明るく温かい高座で、客席をホッとさせることに長けている。余芸に腹話術があり、相棒の人形の名前は「小学光」。
落語家を中心に結成された阿波踊りの連(チーム)「噺家連」の連長を勤める。ボランティア資格の「お笑い福祉士」の創始者でもある。
虫も殺さないほのぼのとした雰囲気を持つ一方で、少林寺拳法2段の腕前。ただし、その腕前を見た芸人はいない。うどんが好き。

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寄席つむぎ