数々の偉業を成し遂げ、多くの弟子の育成も果たされた桂米朝師匠。お別れの時が訪れます。この時、桂米左師匠は何を目にし何を感じられたのか。敬愛して止まない師匠との永訣は、桂米左師匠に何を与えたのでしょうか。
今回が最終回です。じっくりお読みください。読後はきっと、あなたも大切な人のことを思い出すでしょう。
別れ
あの日、平成27(2015)年3月19日夕刻、米団治兄より容態急変の報をもらいすぐに病院へ駆け付けました。病室に入ると米団治兄ご夫婦、次男さん、三男さんの奥さん、可朝師匠、ざこば師匠がおられた。
師匠に顔を近づけ「師匠、おはようございます、米左です」と挨拶をさせて頂いた。
それから千朝兄、三男さんがお越しになり、団朝君、団治郎君、慶治朗君と病室に入って来た。
皆で「師匠」「チャーチャン」と呼び掛けると血圧が上がり脈が上がりしたが次第にそれも弱ってきて反応がなくなってきた。
次男さんが頬をさすりながら「チャーチャン、チャーチャン」と声をかけるとゼロに近づいていたバイタルが戻り、またゼロに近づき声をかけ、これを繰り返すうち米團治兄が「もうええ、もうやめとけ」と言われ、やめるとドラマで見るような感じで「ピー」という音と共にバイタルがゼロになった。
先生がそれをご覧になり「よろしいでしょうか」との事で臨終を確認されました。
「午後7時41分です」
この一言で師匠との現世での関係が終わりました。「ありがとうございました」とお声を掛けさせて頂いた。その言葉しか思い浮かばなかった。ざこば師や米団治師が記者会見で言われてた通り、本当に苦しまず眠るように綺麗に旅立たれました。
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ざこば師が、師匠がやってきた上方落語に対する偉大な業績に「チャーチャンようがんばったな、ほんまにようがんばったな」と師匠の枕元で言われた。本当にそう思う。桂米朝という人が居なければ今の上方落語の位置は違ったものになっていたかも知れない。
臨終から約10分後、米平兄がお越しになった。私が「10分程前に」と言うと「えっ、そう…」と言われ師匠の側に行き、じっと師匠のお顔を見つめていた。大きな米平兄が小さくなって肩を震わしていた。
前年11月末に入院された時に三男さんから「一応の覚悟はしといて」と言われある程度の覚悟は出来ていた。けど出来ていても、である。
師匠が数ヶ月振りに武庫之荘の自宅に戻られ3、40分程で自宅前に記者が集まりテレビでニュース速報が流れたらしい。皆が「何で知ってるねん」「どっから流れたんや」「スパイ居てるのとちゃうか」等々。
翌日の朝刊では、米朝さんの自宅には関係者、一門の方達が集まりとか何とか書いてあり、さぞ湿っぽくなっていたのに違いないと思われるでしょうがなんのなんの。
あんな事あったこんな事あったと思い出話で大盛り上がり。テレビつけてみ、ニュースやってる、チャンネル変えてみろとワーワー言うてました。
師匠も隣座敷で「こいつらはホンマに」と思てはった事でしょう。
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昭和59年3月27日から平成27年3月19日までの11314日間、本当に有難い日々でした。感謝感謝の日々でした。
師匠のお陰で噺家として生かさせて頂いてます。
師匠のお陰でこんな者でも「あぁ米朝さんのお弟子さんですか」と言うて頂き良い応対をしてもらいました。
師匠のお陰で色んな方と繋がりを持たせてもらう事が出来ました。
師匠のお陰で初めて飛行機に乗せてもらう事が出来ました。…YS-11やけど。
師匠のお陰で初めて新幹線のグリーン車に乗せてもらう事が出来ました。
師匠のお陰で美味しいお酒飲む事が出来ました。
師匠のお陰で美味しいもん食べられる事が出来ました。
師匠のお陰で日本国中連れて行ってもらいました。
果ては師匠のお陰で皇居まで連れて行ってもらいました。
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よく「お前はんらどない思てるか知らんがな、ワシが死んだらよう判るわ」と言うてはりました。
ニュース速報が流れ翌朝の主要紙スポーツ紙全て一面でした。
春なのに寒く雨まで降った葬儀当日、出棺まで時間がかかったにもかかわらず、多くの、本当に多くの皆様が待っていて下さった。こんなに多くの方が師匠の事を思って下さる、有難くて涙が出ました。
偉い人なんやという事は判っていたが近すぎて判らなくなっていた。けど判りました。本当によく判りました。
凄い人なんだ!
とんでもない人なんだ!
「落語」に出会えた幸せ以上に、桂米朝という偉大な素晴らしい人の弟子にして頂き私は幸せ者です。
私の師匠は桂米朝ですと自慢出来ます、私は桂米朝の弟子ですと胸を張って自慢出来ます。
そんな自慢出来る素晴らしい師匠に酔うた上といいながら「去んだらぁくそじじぃ」と言うたのは…私です。
師匠、ごめんなさい!
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そう遠くない将来、私もそちらへ行きます。
どこに居てはるか判りませんが探して探して入門のお願いに行きます。
そしたらこんな出来の悪い者で嫌かもしれませんが、また弟子にして下さい。
来世というものがあるのかないのか判りませんが、もしあるならばその時も探して探して入門のお願いに行きます。
来世も弟子にして下さい、そのまた来世も、そのまた来世も…。
師匠が噺家でなく大工さんやったらそこに行きます。
師匠が板前さんやったらそこに行きます。
師匠が八百屋さんやったらそこに行きます。
師匠が漁師さんやったらそこに行きます。
ずっとずっとず〜っと、桂米朝という素晴らしい人の弟子で居させてください。
師匠、有難うございました。
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叶わん事ですが…会いたいです…。
