今から約350年ほど前に、落語は誕生しました。安楽庵策伝和尚が三条の辻で説法を面白おかしく話したことが祖とされ、初代・露の五郎兵衛がそれを発展させます。それから少し遅れること、大坂では米澤彦八が生玉神社で口演を始め、同時期に江戸で鹿野武左衛門がお座敷で落語を始めたとか。
このように歴史深い落語は、「伝統芸能」といえるでしょう。しかし、現代に活躍する落語家はそう思わないのだそう。それはなぜなのか?桂枝女太師匠に、こちらについて解説していただきました。
落語は伝統芸能?
芸事の世界。私がいる世界です。
芸事の世界に入るには通常はその道のプロに入門する、つまり弟子入りしなくてはなりません。今は芸能学校のようなものがありますが、伝統芸能にはそのようなものは基本的にありません。基本的にというのは素人に趣味として教える場合は別ということ。あくまでプロになるためには教室や学校ではなく弟子入りが基本です。
さて入門をした以上、その師匠の芸を勉強して、少しでも師匠の芸に近づく、またいずれはそれ以上のことをと思って修行や稽古に励みます。
落語の場合も同じことで、師匠の舞台を常に見て勉強する。ときには師匠と差し向かいで稽古をつけていただく。ここまではご理解いただけると思います。
問題は師匠のやらないネタをしたいと思ったときはどうすればいいのか。いくら師匠がベテランの大御所でもすべてのネタをするわけではない。いやしないネタの方が多い。
弟子は師匠のしないネタはできないのか? そんなことはありません。出稽古という方法があって、そのネタを得意としている師匠の元へ稽古に行く。これはよくあることです。同じ芸の世界でも他の業種のことは知りませんが、落語はそれを拒むことはありません。
自分もそうして大きくなったのだから当然です。
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もうひとつ問題がある。師匠が十八番としているネタはすべて弟子は覚えなければならないのか。よく免許皆伝という言葉を聞きます。これは師匠から弟子に技や奥義を残らずすべて伝えること、またはそれができた弟子のことをいいます。
技や奥義をすべて・・・となると落語家の場合は師匠の得意ネタをすべて弟子はマスターしなければならないのか? そんなことはありません。というより不可能でしょう。人間には向き不向きというものがある。いくら師匠が気に入って演じているネタでも弟子にはピンとこないものもあります。師匠もそれを無理強いはしません。合わないネタをやったところで客を笑わせることなんてできない。そんなことは自分の経験上みんなわかっていることなのです。
つまり落語の世界に限って言えば、免許皆伝なんてあり得ない!
それどころか師匠の十八番を自分も得意ネタにした場合でも、師匠のネタとはだいぶ違っているという方が多いのです。またそうでなければならない、と私は思います。
時代に合わせて、その場その場の目の前のお客さんが喜んでくれるかどうか、そこが一番大切。
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よく落語は伝統芸能といわれます。たしかに遠い昔に作られた古典落語というものを受け継いでいます。しかし当然のことながらそんな古典落語でも昔のやり方とはだいぶ違ってきている。そのままでは現代の観客にウケないから。
たしかにネタは伝承しているし、着物を着て座布団に座ってというスタイルも伝承しているので、伝統芸能と言ってもいいかもわかりませんが、それでも私は思います。落語は伝統芸能の皮を被った大衆芸能だと。またその逆も真なり。
日本に存在する伝統芸能と言われるもののなかで、一番敷居の低いのが落語です。一番入りやすい。いわば伝統芸能の入り口です。面白くないはずがない。
次回からはうちの師匠が得意としていたネタのお話しをしていきたいと思います。