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㉖なつかしの師匠の仕事~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

桂枝女太

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落語家の仕事は、高座に上がることだけではありません。若手のころはアルバイトに励み、ベテランになっても落語だけという方は少ないとか。それは上方落語四天王の一人、五代目桂文枝師匠も例外ではありません。あんな仕事、こんな仕事をされたのだそう。

五代目桂文枝師匠の仕事について、桂枝女太師匠につづっていただきました。さて、どんな仕事をされていたのでしょうか?桂枝女太師匠もまた色々と面白い仕事をされたそうですよ。

お楽しみください!

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なつかしの師匠の仕事

私の師匠の五代目桂文枝は落語家です。当然その仕事は落語を演じることということになる。そんなん当たり前・・・そう当たり前ですが、落語家の仕事は落語だけではない。色々なことをやらされる。というか、やっていかないと落語だけでは食べていけないという現実がある。

もちろん落語だけで食べている人もいるが、それはもうほんの一握りの人だけ、落語家の99%以上が落語プラス諸々の仕事でなんとか食べていくことができています。

ではプラス諸々とはどのような仕事か。

たとえばテレビやラジオに出ること。それも落語の番組ではなくバラエティ番組やワイドショーなどの番組に出演する。

たとえばテレビやラジオのCMに出る。

たとえば映画やドラマに役者として出演する。

たとえば結婚式の披露宴やその他パーティやショーなどの司会をする。

たとえば講演会の講師として講演活動をする。

たとえばキャバレーやナイトクラブ等でショーやカラオケの司会をする・・・などなど。

コロナ禍においては警備やコンビニのアルバイトなど、落語家のスキルに関係ない仕事もあるかも知れないが、これも生きるため、いわば芸人の逞しさです。

私も若い頃はよく司会で雇われたものだ。収入のほとんどが落語以外の司会の仕事という月が多かった。

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ひるがえってうちの師匠はどうか。

五代目桂文枝、私が弟子っ子として付いているときはまだ桂小文枝だったが、それでも上方落語四天王と呼ばれ上方落語を代表する噺家、落語以外の仕事なんてするはずもない・・・と言いたいところだが、やってましたよ、うちの師匠も。

もちろんコンビニでバイトをしていたわけではないが(当時はコンビニ自体がなかった)ラジオやテレビに出る仕事はしていた。これは落語家の本業ではないだろうが、芸人としては本業になるわけで、当時の師匠も、そして今の私たちも決して副業と考えているわけではない。念のため。

師匠の主なレギュラー番組はテレビとラジオ1本ずつの計2本。

テレビの方はいわずと知れた「素人名人会」の審査員。大阪の毎日放送の制作で、1960年から2002年まで42年間(1955年から1958年までのラジオの期間を含めると45年間)という長寿番組。

司会は初期の頃は西条凡児さん、次が横山やすし、西川きよしのご両人、途中から事情があって西川きよし師匠ひとりに。

うちの師匠がしていたのは審査員。

落語や漫才などの演芸担当審査員は初代が三代目林家染丸師匠、次が桂米朝師匠、そして三代目がうちの師匠。私が付いていた頃の収録場所は梅田花月劇場。毎週土曜日が収録日だった。

ちなみに私も中学から高校時代、この素人名人会に3回出た。1回目の審査員は米朝師匠。このときは名人賞はもらえず、上から二番目の敢闘賞止まり。まだ中学生でしたからね。

2回目と3回目はすでにうちの師匠になっていて2回とも名人賞をいただきました。

しかしそれで弟子入りしたというわけではありません。

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ラジオのレギュラー番組はこれも毎日放送の「スターメロディ」という番組。

この番組は1951年の毎日放送開局当時からの番組だそうで、最終的には2003年まで続いた。うちの師匠は1970年代から担当していたそうだ。

大阪ミナミの千日前にある「千日堂」というレストラン・・・ん?・・・食堂?が一社提供の番組で、(テーマ曲)♪せんにちま~えの千日堂 甘党フアンの千日堂 食堂百貨の千日堂へゆこうじゃな~い~か~ 味はとびきりおいしくて~ なんでも安い~ だ~から毎日毎晩 千日堂へゆく~♪ 「毎度おおきに~、ハイ桂小文枝でございます。食堂百貨の千日堂、居酒屋、串の店でお馴染みの千日前の千日堂がお送りする、スターメロディの時間でございま~す」で始まる30分間の番組。

ちょっとしたおしゃべりと、ヒット曲を紹介する番組なのだが、当時のアイドル、ピンクレディがどうしても上手く言えず「ピンクレデー」と言ってたのが印象に残っている。喋りのプロとは思えない瞬間だった。

私が付いていた頃は千里丘の毎日放送のスタジオで録音していた。

当時原稿を書いていたのは吉本興業文芸部の大河内さんという方だったが、この人作家さんに有りがちの悪筆というのか、とにかく字が汚い、というかほとんど読めない。師匠に何度も原稿を見せられて「これなんて読むと思う」と聞かれた。ほとんどの場合、答えられなかった。

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放送の他にもいろんな仕事に付いて行った。もちろん落語家桂小文枝として呼ばれて行く仕事なのだが、師匠が一番辛そうにしていたのが立食パーティでの余興、つまりは営業だ。

数百人規模の立食パーティではどんな著名人がゲストであろうとまともにやれたものではない。聞いているのは舞台に近いテーブルの20人ぐらい。

それでもきっちりと持ち時間勤めて舞台から降りてきた師匠の口から出るのは当然のことながらぼやき節だ。「主催者もアホとちゃうか、金の使い方わかっとれへんねん」

そんな文句を言いながらでも師匠はこの手の仕事が嫌いではなかった。なんせギャラがよかったから。

好きなことを仕事にできていいですねとよく言われるが、今も昔も芸人の世界、そんなに甘いもんやおまへんわ。