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㉕師匠の初舞台~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

桂枝女太

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上方落語四天王の一人、五代目桂文枝師匠にも必ず初舞台はあります。今から75年前、昭和22年のことでした。この時、高座にかけられたネタは…?

五代目桂文枝師匠の十番弟子、桂枝女太師匠が自身の師匠の歴史を振り返ります。そして、大切な師匠から教わった大切なことについても。

じっくりお読みください。ご感想をお寄せいただけると嬉しいです。

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師匠の初舞台

うちの師匠、五代目桂文枝の本名は長谷川多持(たもつ)。落語家になったのが1947年。戦後すぐの頃。師匠は四代目の桂文枝。この人は踊りの名手だったようで、うちの師匠も最初は踊りを習うために通っていた。なぜ踊りを習いに行ったかは前回の特別寄稿でも書いたが、芸事のひとつでもできたらおなご(女性)にもてるやろうという、まさに色事根問を地でゆくようなお話し。

当時は落語家の数も極端に少なく、上方落語は滅んだといわれた時代。そんなときに若い(当時うちの師匠は17才)者が自分の懐に飛び込んできたのだから、四代目としては飛んで火に入る夏の虫ではないが、絶対に逃がすかという気持ちだっただろう。

もちろん踊りを習いにきたわけで、落語家の弟子になろうとしていたわけではないだろうが、そこは元々芸事が好きな多持青年は「落語もおもろいもんやな。人を笑わすことができる。これは踊りより落語の方がおなごにモテるんと違うやろか・・・」と言ったかどうかは知らないが、師匠の性格からして思ったことは間違いない。弟子として断言できる(笑)

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そしてわすか数ヶ月で初舞台を踏んでいる。ネタは『小倉船』。落語ファンの方ならご存知だと思うが、この噺、とても入門して数ヶ月でできるような噺ではない。相当な修練を積まないとできない噺である。なにが難しいかというと、噺の中に踊りが入る。つまりネタを覚えただけではできない噺。しかし逆に踊りができれば・・・ということにもなる。

もっと言うと、初舞台が『小倉船』だからできたのだろう、いや『小倉船』しかできなかったのだと思う。それにしてもそのときの『小倉船』、どんな出来だったのだろう。タイムマシンができれば絶対にその舞台を見に行く。普通に考えればボロボロやったと思う。ワーッ、そんな師匠の舞台、見てみたいっ!

入門して最初に習う落語はなにか。これは師匠によって多少違うが基本的には短い噺、そして登場人物の少ない噺ということになる。落語は登場人物が多くなれば多くなるほど難しくなる。だから最初は『色事根問』や『商売根問』『浮世根問』などの根問物(ねどいもの)といわれる登場人物が二人の噺か『動物園』『時うどん』のように多少登場人部が増えても物語性の少ない、ギャグ漫画のような噺から始めるのが普通だ。

 私が入門する前はというと、「旅ネタ」からというのが一般的だった。今でも師匠によっては旅ネタから教える人がいるが、『東の旅』という落語、これはとてつもなく長い噺なのでいくつもに区切ってひとつひとつ独立した噺として演じているが、一番最初が『発端』という落語。

「大阪の気性(うま)の合いました二人連れ、お伊勢参りをしようやないかと大阪を出発いたしまして東へ東へ、大阪離れてはや玉造、笠を買うなら深江が名所てなことを申しまして両人深江で笠の一かいずつも買い求め・・・」と続く、大阪から伊勢参りをするガイドブックのような噺で、これが数分続いて、この後は『煮売屋』とか『七度狐』などの噺に繋がっていきます。それぞれ面白い噺なのだがこの『発端』だけは・・・まぁ面白くない。笑うところがひとつも無い。これを最初に覚えさすということは、落語の調子というものを身体に叩き込むためだといわれている。面白くなくても落語家にとってはそれなりに役に立つ噺ではある。

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これは以前にも書いたが、入門したての頃師匠のクルマを運転中に「どんな噺を稽古したいねん」といわれて『発端』をお願いしますと言ったら「そんなもん覚えてどこでするつもりや」と言われたことがある。

こっちとしては随分と拍子抜けという感じだったが、うちの師匠は完全な実戦派だ。やるところがないような噺ならば覚える必要はない。こんなことも言われた。

「今はまだ前座で出ることが多いから長い噺はでけへんけど、やるところがないから稽古せんでええわけやない、今から稽古だけはしとけよ」

『発端』のときと矛盾するように聞こえるが『発端』はおそらくこれから先もする機会はなかろう、だから覚える必要はない。他の噺、今のレベルで難しい噺でも将来きっとそういう噺をやらなければならないときがくるから今からしっかり稽古しとけよという意味で、まさしく実戦派の師匠、そして実戦を潜り抜けてきた師匠ならではだと、その当時に気付いておけばよかったのだが、そのときは「はい、わかりました」と答えたものの「なにを言うたはんねやようわからんわ」と思いながらハンドルを握っていた。

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