平成7年(1995年)4月に三遊亭小遊三師匠に入門した三遊亭遊喜師匠。前座見習いを経て、楽屋デビュー。その後、着々と仕事を覚えていきます。でも慣れてきたころが、自動車の運転と同じで危険なんです。三遊亭遊喜師匠も大変なことをしでかしてしまったのだそう。
キリキリ胃が痛む若いころの遊喜師匠の大失敗、小遊三師匠から言われたことは?温かい師弟エピソードをです。じっくりお読みください。
頭を丸めて師匠宅へ
前座修行期間は協会や一門でも違いますが、大体4~5年といったところです。2年ぐらいするとおおよそ前座の仕事はできるようになり、マンネリ化しだらけてしまう事が多々あります。これはどうしようも無いことなのですが、そんな時にしくじりがやってくるのです。
私も忘れられない「しくじり」がありました。
師匠や先輩から地方公演の前座を頼まれる事が増えて来て、なんとかやっていけるかなと思っていた頃のことです。師匠から熊本での落語会の前座を頂き、前日に師匠の着物の入った鞄を預かりました。明日8:30に羽田空港で待ち合わせということに。初めての熊本が楽しみで、遅刻しないようにと目覚ましをかけ、持っていく荷物を整え就寝します。
気が付いたら家の電話が鳴っている。なんだろうと思い出たら、相手は師匠のマネージャーさん。
「今日熊本行くんでしょ。何時だと思ってんの?師匠の鞄は?」
時計を見たら8:30過ぎ。
「今から向かいます」
「次の便で来てよ 先に熊本行ってるから」
ガチャン
あーいう時は不思議なもので思考が停止するというか…、現実を拒絶するというのか…。
あっ、夢かな?あれ、明日かな?
などと思ったりしたものの、寝坊したという現実は変わらず急いで家を出ました。携帯電話がまだみんなに普及していない時代です。師匠も持ってない。もちろん私も待ってない。そんなころです。
マネージャーさんがチケット変更してくださっていて、なんとか次の便で熊本へ。タクシーへ乗り込み会場に向かいます。師匠はもう到着しているわけで。謝るしかないのだけれど、どう謝ればいいのか?
「これでもう俺はくびかな?」
などなど、今までのいろんなことが走馬灯のように頭の中によぎりました。
会場に着き、いざ楽屋へ。すかさず土下座して「申し訳ございませんでした」。師匠が
「バカヤロー。何やってんだ、バカヤロー」
「すみませんでした」 ・・・ ・・・
そんな修羅場が永遠続くと覚悟してはいたものの、開演5分前に会場に到着出来たのですぐに着物に着替えて高座へ上がり、ひとまず小言は回避。しかしながら高座から下りたら、遅刻したという現実と師匠の怒りがもの凄い勢いで迫って来て、あまりの迫力で圧倒され何を言われたかほとんど覚えてません。覚えていないものの、これはもうやめるしかないと思っていました。
帰りの飛行機は師匠と一緒なわけで、もう何を話していいのかわからず頭の中は真っ白です。
東京に着いてからは、入門してからのあんな事やこんな事を思い浮かべながら電車を乗り継ぎ帰宅。明日朝一で謝りに行こうと思い直し、師匠に言われたわけではないですが頭を丸めて、翌日師匠宅へ。
「おはようございます。昨日は申し訳ございませんでした」
目の前の師匠が
「なんだお前、頭丸めたのか。なかなか似合うじゃーねーか」
「ありがとうございます」
「慣れてくると気が抜けてくるから気をつけろ」
「はい」
なんとかくびはつながりました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そういえば以前、師匠からこんなことを教わっていました。
「落語家がしくじるのはしょうがない、謝るときにどうあやまるか。先方は怒っているのだから言い訳とかそんものはいらない。真っ新な気持ちで小言を言われればいいのだ」
頭を丸め、こう言ってもらっていたことを思い出します。
それ以来、色々しくじってきましたが、素直な気持ちで言い訳せずに小言をくらってきました。結果、私に小言を言いやすいのか、どうでも良いことでも小言を言われるようになりました。
正直、小言を言ってもらえるうちが花です。師匠には感謝しかありません。
小言もくらいすぎると麻痺して何も感じなくなるので、気を付けなれればいけませんね。
つづく