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民俗学に関して 心霊体験~SFと童貞と落語:笑福亭羽光

笑福亭羽光

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寄席や落語会で怪談噺が高座にかけられる夏は「心霊シーズン」といえるかもしれません。しかし、実際の心霊体験や怪奇現象は年がら年中起きるもの。笑福亭羽光師匠も「感じる」ことがあるのだそう。その感じたことから、小泉八雲や宮沢賢治に思いを馳せます。

笑福亭羽光師匠の繊細な一面が見えるエッセイです。じっくりお読みください。

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民俗学に関して 心霊体験

 いつの頃からだろうか。急な頭痛をおぼえるようになったのは。≪人酔い≫、人に酔っている……という感じだろうか、気を貰うという感覚なのだろうか。


それは、突然起こる。多くは、他人の持っている【気】を感じる時だ。友人や、仕事関係の人に、会った場合(一メートル以内に近づいた時)に何かついている物を感じて頭痛がする。それは、場所も同じだ。【気】が残っている場所、特定の建物や密閉された空間、ホテルの部屋……に入った瞬間、頭痛がする。


逆に、墓や殺人事件現場では何も感じない事もある。

 その場所や、その人は、自分に合わない物がついているのだと思う。

その人自身が嫌なわけではなく、その人がその瞬間発する【気】を感じてしまうのだ。
人の色が見える……という友人がいる。スピリチュアルな話だが、オーラのようなものであるとか、病気の色とかが見えるそうだ。
また匂いを敏感に感じる人も居る。本当に匂いを発しているのかもしれないが、体調悪い人からは、病気の匂いを僕も感じる。
 
 小泉八雲は、日本に来て霊的な物を感じ、沢山の不思議な話を書いた。霊感のような物を持っていたのだろう。
宮沢賢治の童話を読むと、賢治は普通の人間が感じる感覚以上の物を自然から感じていたのではないかと思う。第六感のような自然と一体化する感覚だろうか。
僕も伊勢神宮に参拝し、樹齢何千年の大木を抱きしめた時、確かに何か感じる物があった。

【遠野物語】で描かれた怪異はリアリティーがあり、本当にあった事だと思う。かつての日本人は、現代人よりもっとスピリチュアルな感覚を持っていたのだろう。

折口信夫、南方熊楠をなんとなく調べて乱読してみた。死後の世界、幽霊、妖怪、といった未だ解明されていない存在に、迫った作家、研究者……という認識だったが。少し違った。
ユングの集合無意識、レヴィストロースの構造主義。調べれば調べる程、一つの結論に近づく気がする。
見えない何かが、絶対にある。逆にいえば、見えてるもの、科学で証明されて説明つくものの方が少なくて、多くは判らないものである。

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