広告

神戸港から細島へ、そして防府へ~SFと童貞と落語:笑福亭羽光

笑福亭羽光
【PR】
▽電子帳簿保護法の準備はお済みですか?▽

▽ご予約はコチラから▽

今年の1月、笑福亭羽光師匠は豪華客船でのお仕事があったのだそう。今回はその寄港地での出会いについてつづっていただきました。とても素敵な出会いがあったようですよ。

それでは笑福亭羽光師匠の旅を一緒に追体験していきましょう。

広告

神戸港から細島へ、そして防府へ

 2025年1月某日、新幹線で新神戸まで行き、徒歩で神戸港に向かった。新神戸からJRは連結していないため、地下鉄に乗らないといけないので、徒歩の方が楽だと判断したのだ。1時間ちかくかかったが、神戸の街並みを楽しめた。ガガガSPのMVに登場する中華街も通った。

 神戸港から豪華客船に乗り込んだ。僕の仕事場である。3泊4日のクルーズで、夜、船内で落語の公演をさせてもらうのだ。

 夕方出向した船は、翌朝、宮崎県細島に到着。観光ガイドを読むと、徒歩で行ける場所は無い。ふと、【願いが叶うクルスの海】という言葉が目に入った。僕は思い出した。吉原馬雀にかつて宮崎県ツアーで連れてってもらったことがあったのだ。僕はもう一度クルスの海が見たいと思い、徒歩で向かうことにした。

 人影まばらな街並みを抜けると山道に入る。竹藪を抜けたりして急な山道を登っていく間にへとへとになる。一時間位、革靴で歩いているので、足もイタく豆が出来ている。クルスの海展望台までは、あと500メートル位のようだが、更に山道の傾斜が急になってきたので、展望台まで行かず帰ることにした。道路から海を眺めた。朝日に照らされキラキラして美しかった。僕は、クルスの海に、その夜の落語がウケますように、そしてこの旅が面白く幸せでありますように……と祈った。

 その夜の落語は適度にウケた。

 翌朝、山口県の防府市、三田尻中関港に着岸した。

 もうすっかり歩くことが日常化している僕は、徒歩で観光名所が密集しているあたりに向かった。目的地は防府天満宮。そのあたりは山頭火ゆかりの地で、生家が記念館になっているらしい。

 僕は山頭火のことはあまり知らなかったが、尊敬する小説家の町田康さんの著作で山頭火のことを知り、興味を持っていた。山頭火は、僕のイメージでは天才ダメ芸人である。凄い句の才能を持ち、心をピュアに保つ為、托鉢をしながら山道を歩き句作し続ける。酒が好きで、でも金がないから友人にご馳走になり、泥酔する。妻子をほっといて、旅し続ける。楽せず自分の足で歩いて風を感じ人のぬくもりを感じ生きることが、ピュアな創作につながる……ということを山頭火は言っているようにとらえた。

 いざ、三田尻中関港から歩き始めてみると。景色はずっとクレーン車や砂が積んである工場の連続である。「わけいってもわけいっても工場地帯」だった。

 30分以上歩いた時、やっと街並みが現れ、景色が楽しくなってくる。天神様の商店街に入るが、朝早いからだろうか、ほとんどシャッターが閉まっている。それでも、特徴のある街並みを見ながら、天神さんまで1時間半位かけて歩き通せた。

 石段を登るときには、ふくらはぎと、足の小指が滅茶苦茶痛かった。

 お参りを済ませ、裏にまわると、絵馬が大量にかかっている。学問の神様だけに、受験のお願いが多い。山口県の名門校なのだろう、知らない学校名が明記されていて、そこに合格しますように……と書かれている。天神様は、学生に愛される神様だ。

 思えば菅原道真は、祟りをなす怨霊だった。神田明神の平将門も怨霊だった。怖い存在、祟りをなす恐ろしい存在が、時を経て信仰の対象になる。ひょっとしたら数百年後には、貞子や、何処かの心霊スポットの霊が神様になっているかもしれない。

 参拝後、徒歩五分の場所に、山頭火記念館があることを知り、寄ってみることにした。

何処の記念館でも同じようだが、山頭火の句や年表が展示されていて、山頭火が着用していたであろう托鉢の衣装が飾られている。ロビーには、地元の小中学生が作った自由律俳句が展示されている。

 入館者が僕一人だったこともあり、解説の女性が話しかけてくれて、色々山頭火のことを教えてくれた。僕は、この女性と学芸員という職業に興味を持った。博物館や美術館にもいる、館内の案内をしたり、作品や作者の解説をする職業の人だ。記念館に来る客に、山頭火のことを解説して、質問に答えたりして交流を持つ。なんとも幸せな楽しそうな職業に感じ、生い立ちや学芸員という職業について色々聞いてしまった。

 さてと。

 船まで徒歩で帰るのは流石に足が痛い。足の小指とふくらはぎの腫れもピークに達している。タクシー以外の交通機関は無いかと尋ねるが、無いとのこと。その日は来館者も少ないから、館長が車で送ってくれることになった。大変恐縮する。

 僕が山頭火をまねて徒歩で来たことに学芸員さんが縁を感じてくれたのだろう。

 館長は70代の地元の方で、車で港まで送ってくれた。館長の人生を色々聞きながら20分くらいで港に到着する。

 その夜の落語公演で、その出来事を話すと、大いにウケた。

 東京に戻ってから、御礼状に手ぬぐいを同封して、館長の名刺の住所に送った。

更新の励みになります。ご支援のほどをよろしくお願いいたします