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④弟子生活~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

桂枝女太

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昭和52年元旦に五代目桂文枝師匠(当時、小文枝)から芸名をいただいた桂枝女太師匠。本格的な弟子修行が始まったのは、高校を卒業してからでした。一般社会とは全く違う世界、戸惑いの連続だったそう。

客席やテレビの前からではうかがい知ることのできない五代目桂文枝師匠の意外な素顔もあったそう。今だからこそ語られる、桂枝女太師匠の修業時代。じっくりとお読みください!

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弟子生活

1977年の春から本格的な弟子修行が始まった。

毎朝玉出の師匠のお宅へ行く。仕事があるときもないときも。仕事のときは師匠のカバンを持って仕事先へ付いて行き、ないときはお宅でなんらかの用事。

こう書けばとくに難しいことはないようだが、なんせ昨日までは高校生。なにをどうしていいのやらさっぱりわからない。

私は一般社会で働いたことがないので就職というものがどういうものか知らないが、どんな職場でも研修期間みたいなものはあると思う。

朝出勤したらまずこれをやって、その後はどうしてなど上司や先輩に教えてもらって徐々に仕事を覚えていく。そういうものではないだろうか。

私の場合は勤務先が師匠のお宅。師匠の仕事のないときは家でいったいなにをどうすればいいのか。一般に弟子修行というのは家の掃除や洗濯、洗い物などをして、という漠然とした知識はあるのだが、勝手にするわけにもいかずただただ指示待ち。師匠が一から教えてくれるわけではない。これにはまいった。

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ただ救いは一緒に修行生活をする直近の兄弟子がいたことだ。桂おも枝兄さん。「おもし」と読む。その名の通り体重約100キロの巨漢。師匠の芸名の付け方も結構安直だ。

私より2年先輩だが中学を出てすぐの弟子入りだったので年齢は私よりひとつ下。それでもこの世界の慣例として、たとえ年下でも入門が先ならば先輩。もちろんタメ口は許されない。

だが私のほうが年上ということもあるのだろうか、それともおも枝兄さんの元々の性格なのか、偉そうな振る舞いをされたことは一切なかった。それどころか師匠の前での立ち居振る舞いから用事の仕方、仕事場での他の先輩方への気配りから言葉遣いまで丁寧に教えていただいた。

そのうち修行生活にもだんだん慣れてきたというか馴染んできたというか。師匠と一緒にいることが当たり前になってきた。

私の仕事の中で大きなウエイトを占めていたのがクルマの運転。師匠は免許を持っていなかったが、3人いる息子さんの中で長男さんが私より1歳年上で運転手役をしていた。

それまでも多くの弟子がいたが、免許を持っているのが小軽兄さんと文也兄さんぐらい。直近の兄弟子のおも枝兄さんはもちろん、その上の枝織兄さん(現・小枝)も免許は持っていなかったので、運転する者がいなかったのだ。

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小軽兄さんや文也兄さんが弟子のときは師匠がクルマを持っていなかった。仕方なく小軽兄さんのクルマを使っていたそうだ。

そこへ私が入門してきた。免許は高校在学中に取得していた。師匠のクルマ運転手は弟子というパターンが私から始まった。

しかし師匠も度胸がある。免許を取ってまだ1年も経っていない18歳の少年が運転するクルマに乗るのだから。免許を持っていない者の強みか。

運転には自信があった。元々クルマ好きだし、教習所では見極め、仮免、本試験、一度も落とさなかった。教官から「あんた今まで無免許で運転してたんちがうか」と疑われたほどだ。

師匠のクルマはニッサンローレル。当時としてはかなりデカい部類に入る。

また駐車場が・・・狭い。師匠が言うには初めて運転した者でこの駐車場からまともに出せた者はいないそうだが、一発で出せた。弟子入りして師匠に初めて褒めてもらったのがこのときだった。

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師匠はなぜか前席に乗る。このタイプのクルマなら普通後ろでしょ。初めてのときは「へぇ、横に乗らはるんや」程度にしか思わなかったが、後にこれが私の最大のストレスになる。

うちの師匠はとにかくイラチだ。渋滞したときの師匠は右手の人差し指とと中指で上の前歯をたたく。カチカチカチカチ。この音が聞こえてくると要注意だ。いつカミナリが落ちるかわからない。カチカチカチカチ。

後席でやってくれるならまだしも隣でだ。こっちのほうがイラついてくる。

「師匠、そのクセはやめはった方がいいですよ」

と、言えるわけがない。私以降弟子が運転するのが当たり前になったが、弟弟子全員例外なくこれには悩まされた。

また師匠は高速道路では飛ばすのが好きだった。といっても実際飛ばすのは私だが。名神高速などで時速100キロ以下で走ると機嫌が悪くなる。

当時のクルマは速度警報機というものが付いていた。時速100キロを超えるとキンコンキンコンと警報音が鳴る。その音が聞こえていないと機嫌が悪いのだ。

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またこんなこともあった。

私は今でもそうだが結構安全運転派だ。割り込まれても追い越されてもあまり気にならない。阪神高速を制限速度ちょいオーバーぐらいで走っていると、右側車線を他のクルマがどんどん抜いて行く。観光バスにも抜かれる。

突然師匠が

「これだけ抜かれてなんともないんか。無茶することはないけどな、抜かれたら抜き返そうという気にならんか。そういう気がないさかいおまえの落語は進歩せえへんねん。もっと前に出てやろうという気にならんか!」

え?なに言うたはんのんこの人。安全運転で怒られるとは思わなかった。でも師匠の言うこともわからないではない。人間の性格というものはそういうものなのかも。

でも私だって急いでいるときは多少は飛ばすこともある。しかしこのときは急いではいなかった。というより敢えてゆっくり走っていたのだ。

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師匠はイラチだ。イラチというのはただ単に早く現場に着けばいいというものでなないらしい。到着が早すぎると当然待ち時間が長くなる。それがイラチには耐えられないようなのだ。

だから時間調整のために敢えてゆっくり走っていたのだが。師匠としては観光バスに抜かれたのは耐えられなかっただろう。

西名阪を奈良方面に向かって走っているとき、前のクルマを抜いた。とくにトロトロ走っているわけでもなかったが、少しぐらい飛ばしている感があったほうが師匠も機嫌がいいだろうと思って抜いた。

ところがそのクルマが今度は後ろにピッタリと付けてきた。そしてパッシング。抜かれたのが気に入らなかったのだろう、今度は逆に抜き返してきた。そして急減速。今でいう完全なあおり運転だ。

そのときはそれですんだが、そのクルマがいなくなってしばらくして

「さっきのクルマ、おまえが抜いたんが気に入らなんだんとちがうか。しょうもないことせんとゆっくり走っとれ」

師匠の顔は強張っていた。

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