桂優々さんの第2回目のコラムです。
優々さんのコラムは、音楽のようにSE(サウンドエフェクト)から序章のイントロが入ります。優々さんが書くのはまさに音楽!どんな音が飛び出すのでしょうか?
存分にお楽しみください。
イントロ
龍谷大学に入り落語研究会に入部して、落語をすぐ初めたわけではありません。
前回書いたように最初は漫才がしたくて落研の門を叩きました。
しかし、落語、漫談志望の同期はいても漫才志望がいなかった。
そこで先輩が、
「漫才は、さらに入部したやつとできるかもしれんから、とりあえず落語したら?」
と言う提案に頷き落語をする事になりました。
前回書きましたが、落語は学校落語を見た程度。
古くさい、漫才に比べたら面白くないものと言う固定概念を持ったまま嫌々落語をはじめました。
しかも龍大落研の最初のネタは「東の旅〜発端〜」と決まっています。
今でこそ面白みを感じますが、当時は苦痛で仕方なかったです。
そんな中、後日漫才志望の同期が入ってきました。
「やった!落語しなくていい!」
と思ったのも束の間、同じタイミングでもう一人漫才志望の同期が入ってきて、そっちでコンビが組まれ私は結局落語する事に。
当時落研の上回生は全部で三人。内訳は四回生が二人、三回生が一人、二回生に至っては0人と、人数不足により廃部の危機に面してました。 だから、一人でも部員を入れたい、釣った魚を逃すわけにはいかない。 そんな事情から表向き「漫才できるよ」と言う定は崩さず、裏では落語専門でいかせるように仕込まれていました。
ちなみに卒業前にこの話を先輩としていたら、
「あれっ?お前元から落語志望じゃなかった?」と言われるくらいまで落語好きになってしまいました。
今となっては上手く操って落語に導いて下さった先輩に感謝です。
話を戻して嫌々落語をしている一回生の私。
なぜ落語好きになったのかと言うと忘れもしない2005年5月21日。
龍大は5月21日は親鸞聖人のお誕生を祝う「降誕会」と言う日で授業が全休になります。
一回生の私はそんな事はつゆ知らず登校、ついて掲示板を見てから、休みのことを知り帰宅しました。
なんの気なしにテレビをつけるとNHK「日本の話芸」、出演は我が師匠、桂雀々でネタは「代書」
もう腹抱えて笑いました。
「落語ってこんなおもろいもんなんか!」
落語の価値観が180度変わりました。
そしてまさに親鸞聖人のお導きだと思いました。
そこから落語に没頭していくわけです。
そして時は流れ大学三回生の夏、当時はそれくらいから就活を始めなくてはいけませんでした。
就活は悩みました。
母校で教師をし、野球部の監督になり甲子園に導く。
これが私が大学に入った理由で、夢でもありました。
ただ私には「人に物事を教える」と言う才能がありませんでした。
先生を諦め、嫌々仕事をするより、どうせ人間いつか死ぬし自分の好きな事をして生きたいと思い落語家になる事を決意するのです。
この決断に至るまでにはあまり時間はかかりませんでした。
なぜかと言うと、私の大好きな音楽達が背中をそっと押してくれていたから。
人に影響を与えやすい人がいるならば、人から影響を受けやすい人もいます。
私は後者です。
好きなアーティストのメロディーや歌詞に影響を受け、そして師匠桂雀々の落語に影響を受け、今の自分がいます。
落語好きで落語家になったら舞台で落語への愛情を表現できますが、影響を受けた音楽の話は中々高座ではできません。
その好きな音楽の話をこの「寄席つむぎ」さんで連載していきます。
そう、二部構成にも及んだ長い前置きが今終わりました。
次回からはそんな好きな音楽をアルファベット順で紹介していきます。
感想をお聞かせください。
優々さんのコラムはいかがだったでしょうか?
次回は音楽の真髄に触れていただけます。音楽でも一番盛り上がる所ですね。皆様の感想、音楽の思い出、あなたの好きなアーティストをお聞かせください。
優々さん出演落語会『いつつぼし』が7月28日に開催されます。ぜひお越しください。
桂優々さんはFacebook(https://www.facebook.com/yuuyuu.katura)も随時更新中。こちらも要チェックです!