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⑮百年目~師匠三代目桂春団治と見た風景:桂春若

桂春若

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上方落語の大ネタ『百年目』。桂米朝師匠が得意とされたこのネタで、若き日の桂春若師匠は米朝師匠の『百年目』に衝撃を受けたとのこと。絶賛されたことは、桂米左師匠のコラムでもつづられていましたね。

今回は桂春若師匠ご自身で、桂米朝師匠の『百年目』の感動について語っていただきました。

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百年目

11月に桂米左さんのコラム『師匠桂米朝と過ごした日々』で『百年目』のことを書いたはりました。

その中で私が「米朝師匠の『百年目』は史上最高の百年目!今後これの上をいく『百年目』はない」と云ったとあります。

もっと正確には「『立ち切れ』は歴史の中でひょっとしたら米朝師匠より上の『立ち切れ』はあるかもわからんけど、『百年目』は絶対にない。史上最高の百年目!」と云ったように思います。

初めて『百年目』を聴かしていただいたのは、厚生年金中ホール(現・オリックス劇場)の「桂米朝独演会」でした。今の南光さん(当時はべかこ)が「若ちゃん、これええ噺やで!」と教えてくれました。

その時は番頭が2階で一晩中悩んでいる処が凄く印象に残りましたが、何分初めてでちゃんと解りませんでしたが、すぐに京都文化芸術会館の独演会でも『百年目』を出してはりましたので、京都に聴きに行きました。

最後の旦那さんの優しさと大きさ、番頭さんが店に来た時の想い出話に感動しました。

それから『百年目』の【追っかけ】が始まります。

京阪神はもちろん、西は竜野、姫路、東は名古屋辺りまでは行きました。仕事断って行ったこともあります。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

平成9年1月、京都の「米朝独演会」の帰りに、祇園へ連れていただきました。そこで店のお女将さんに、

「こいつはわしが『百年目』を演る云うたら、どこでも来るねん」

と紹介していただきました。

その席で

「『百年目』はキッチリ覚えたら何んとか成るさかい、自分の小さな会でもエエ、一辺演り。出来るやろ」

と云っていただいたんですが、そんなん出来ませんし、そのままでした。

時は過ぎます。

平成11年9月12日、米朝師匠が「ヘラヘラ踊り、観たことあるか?」と。

「一辺、松竹新喜劇で観たことはありますけど、ホンマもんはもちろん観たことありません」

「ほな、20日に行くさかい、6時に“大和屋“へおいで」

ありがたいことです。

ヘラヘラ踊りを観たその席では、

「春若、おまはんが『百年目』演んねんやったら、わしゃ仕事取らんと見に行くで……」

とまで仰っていただきました。

でも又、時は過ぎます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

平成13年9月2日、日曜の夕方、米朝師匠から電話が掛かって来ました。

「独演会も今日で一段落ついたさかい、明日にでも稽古においで」

「いえ、明日は仕事でちょっと……」(ここは米左さんのウソついたんと一緒です)

「ほな、明後日に……」

9月4日、長い噺です。2回に分けて教えていただきました。

何とか無事(?)最後まで演り終えると、

「えらいもんや。やっぱり、よう観てる」

と私にとって最高のお褒めの言葉をいただきました。

そのアト、いろいろと『百年目』の時代背景、人力車のこと置き薬のこと、空気を変えるポイント、越後獅子を止めるタイミングetc……。たくさんのことを教えていただきました。

本当に感謝しかありません。

翌年のワッハ上方での「独演会」でネタおろし。

もちろん、米朝師匠は来はりません。でも、桂あさ吉さんが「米朝師匠からです」と御部屋見舞を届けてくれました。何んと有難いことでしょう。

『百年目』、いえ米朝師匠の『百年目』を好きになって、ホント良かったです。

『百年目』バンザーイ!

今回は自慢話ばかりに成ってしまいました。すいません!

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参考 南地大和屋へらへら踊り