上方落語の大ネタ『百年目』。桂米朝師匠が得意とされたこのネタで、若き日の桂春若師匠は米朝師匠の『百年目』に衝撃を受けたとのこと。絶賛されたことは、桂米左師匠のコラムでもつづられていましたね。
今回は桂春若師匠ご自身で、桂米朝師匠の『百年目』の感動について語っていただきました。
百年目
11月に桂米左さんのコラム『師匠桂米朝と過ごした日々』で『百年目』のことを書いたはりました。
その中で私が「米朝師匠の『百年目』は史上最高の百年目!今後これの上をいく『百年目』はない」と云ったとあります。
もっと正確には「『立ち切れ』は歴史の中でひょっとしたら米朝師匠より上の『立ち切れ』はあるかもわからんけど、『百年目』は絶対にない。史上最高の百年目!」と云ったように思います。
初めて『百年目』を聴かしていただいたのは、厚生年金中ホール(現・オリックス劇場)の「桂米朝独演会」でした。今の南光さん(当時はべかこ)が「若ちゃん、これええ噺やで!」と教えてくれました。
その時は番頭が2階で一晩中悩んでいる処が凄く印象に残りましたが、何分初めてでちゃんと解りませんでしたが、すぐに京都文化芸術会館の独演会でも『百年目』を出してはりましたので、京都に聴きに行きました。
最後の旦那さんの優しさと大きさ、番頭さんが店に来た時の想い出話に感動しました。
それから『百年目』の【追っかけ】が始まります。
京阪神はもちろん、西は竜野、姫路、東は名古屋辺りまでは行きました。仕事断って行ったこともあります。
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平成9年1月、京都の「米朝独演会」の帰りに、祇園へ連れていただきました。そこで店のお女将さんに、
「こいつはわしが『百年目』を演る云うたら、どこでも来るねん」
と紹介していただきました。
その席で
「『百年目』はキッチリ覚えたら何んとか成るさかい、自分の小さな会でもエエ、一辺演り。出来るやろ」
と云っていただいたんですが、そんなん出来ませんし、そのままでした。
時は過ぎます。
平成11年9月12日、米朝師匠が「ヘラヘラ踊り、観たことあるか?」と。
「一辺、松竹新喜劇で観たことはありますけど、ホンマもんはもちろん観たことありません」
「ほな、20日に行くさかい、6時に“大和屋“へおいで」
ありがたいことです。
ヘラヘラ踊りを観たその席では、
「春若、おまはんが『百年目』演んねんやったら、わしゃ仕事取らんと見に行くで……」
とまで仰っていただきました。
でも又、時は過ぎます。
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平成13年9月2日、日曜の夕方、米朝師匠から電話が掛かって来ました。
「独演会も今日で一段落ついたさかい、明日にでも稽古においで」
「いえ、明日は仕事でちょっと……」(ここは米左さんのウソついたんと一緒です)
「ほな、明後日に……」
9月4日、長い噺です。2回に分けて教えていただきました。
何とか無事(?)最後まで演り終えると、
「えらいもんや。やっぱり、よう観てる」
と私にとって最高のお褒めの言葉をいただきました。
そのアト、いろいろと『百年目』の時代背景、人力車のこと置き薬のこと、空気を変えるポイント、越後獅子を止めるタイミングetc……。たくさんのことを教えていただきました。
本当に感謝しかありません。
翌年のワッハ上方での「独演会」でネタおろし。
もちろん、米朝師匠は来はりません。でも、桂あさ吉さんが「米朝師匠からです」と御部屋見舞を届けてくれました。何んと有難いことでしょう。
『百年目』、いえ米朝師匠の『百年目』を好きになって、ホント良かったです。
『百年目』バンザーイ!
今回は自慢話ばかりに成ってしまいました。すいません!

参考 南地大和屋へらへら踊り