今回で『SFと童貞と落語』は連載50回を迎えました!さて今回は、下ネタについて。
下ネタを含む創作落語も手掛ける笑福亭羽光師匠。前座のころは笑福亭鶴光師匠から下ネタを禁じられていたのだそう。その笑福亭羽光師匠が、下ネタの帝王・快楽亭ブラック師匠の高座で大きな衝撃を受けたとのこと。それは…。
笑福亭羽光師匠の原点のひとつです。じっくりお読みください。
快楽亭ブラック師匠から教わった下ネタの楽しみ
10年前、名古屋の大須演芸場という劇場に泊まり込みで出演していた。当時、東京で家が無かった僕は、三島、大阪、東京、名古屋と放浪生活していたのだ。10日間出演すれば東京名古屋の交通費と、一日五千円のギャラが貰えるという良い条件で、大須演芸場2階の楽屋に泊まり込んでいたのだ。平日は2ステージ、土日祝日は、三回回しで公演を行う。当時平均の客数は6人位で、笑わないお客さんの前で古典と向き合った日々だった。
そこで出会ったのが、快楽亭ブラック師匠。下ネタ差別ネタなんでもあれの師匠で、とにかくサービス精神旺盛。僕は毎日袖で師匠の高座を勉強させてもらった。
前座の頃は、師匠鶴光より「若いうちから下ネタはいかん!」と止められていた。また下ネタをやる人間は、スケベではいかん、生生しくなるから、師匠位枯れた年齢になってからならやって良いとの事だった。僕は忠実に守り、前座と2つ目の最初の方は古典をきちっと勉強したのだ。
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大須演芸場の集客の低さをなんとかしようと、有志で商店街で呼び込みをする事にした。演芸が初めての名古屋の老人を呼び込む。舞台袖から客の表情が良く見える。
何もしらない名古屋の老人の客が、ブラック師匠の下ネタ差別ネタで、唖然とした表情をするのが見えた。その瞬間、カーっと頭に血が昇り、ロックンロールが鳴り響いた。いけない事をする快感を理解した。ブラック師匠は本当に楽しそうに艶笑噺をやっておられた。
僕はその後、私小説落語シリーズという思春期の物語をやり始め、下ネタも入れこむようになり、今に至る。
先日、ブラック師匠の会に、呼んで頂いた。
なつかしさでいっぱいになる。
新宿道楽亭の楽屋で聴く師匠の艶笑噺はまさに名人芸だった。