令和4年11月13日に急死をされた林家市楼師匠。寄席つむぎ代表のふじかわ陽子とは同期で、親しくさせていただいていました。思い出は尽きませんが、今回は林家市楼師匠の可愛い面を。
なお、この記事では執筆者のふじかわ陽子が林家市楼師匠を友人として描きたいため、敬称を「くん」とさせていただきます。他、登場する芸人さんたちも、ふじかわ陽子が普段使用している敬称にさせてください。
死にそな師匠ランキング
シラフの時の市楼くんは、案外抜けたところがあって可愛らしい。平成17年夏ごろ、染語楼師匠のお墓参りに同伴させてもらった時にこんなことがあった。さも不思議そうな顔で市楼くんが言うのだ。
「うちの過去帳を見とったら、おんなじ名前の人が多いんや。代々伝わる名前やろか?」
「なんて名前?」
「スイコっていうねん」
「そら水子や」
お地蔵さんもずっこける。

市楼くんは酒を飲むと色々とアイデアがわくようで、そのことも話したくて私に夜中のクソ電をしていたように感じる。ある時は、
「足の裏に入れ墨入れよと思てんねん、花札のブタの組み合わせで。博徒がようやっててんて。すらんようにって」
「ええんちゃう。やってみたら?」
またある時は、こんなことも言っていた。
「見台を首から紐で下げて、道頓堀を歩こかと思てんねん。『東の旅の発端』やら、見台を叩きまくるネタで。おもろいやろ」
「ええんちゃう。やってみたら?」
はたまたある時はこんなことも。
「噺家のバンドを組もうかと思てんねん。オレ、ドラムするから」
「ええんちゃう。やってみたら?」
「オマエはキーボードな」
「私、噺家ちゃうし、やらんで」
色々と話はしてくれるが、全部実行できなかった。恐らく「ええんちゃう」でなく、「一緒にやろか」と言ってほしかったのだろう。気が小さいから。しかし、一緒にやりたくても、私は病気で体が動かなかった。自分ではどうしようもないことで市楼くんを突き放さざるを得ないことが、情けなかった。

私の体調が少し回復し寄席つむぎを始める際は、市楼くんにも連絡をした。久しぶりに会って飲みながらアイデアを出しあう。JR天王寺駅近くの居酒屋だ。
その時、彼は芸人に文章を書かすのではなく、文章が書ける人を雇って聞き書きをする方が良いと提案してくれた。市楼くん本人が文章をつづるのが苦手ということもある。だから、聞き書きをしてほしいと。
続けてこうも言った。
「オレは最後でええわ。先に死にそな人からやらんと。○○師匠やら●●師匠やら。あー、最近△△師匠の顔色悪いわ。多分死ぬ」
死にそなランキングをつけた本人が真っ先に死んだらアカンで。
最後の最後まで芸人らしい林家市楼だった。
つづく
