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落語の時代ってどんな時代?~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

桂枝女太

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一言で「落語」といっても物語の舞台は様々。作られた年代によって違ったり、口演された年代によって変化をつけたり。今回は桂枝女太師匠に「落語の時代」についてつづっていただきました。前回の『㉘悋気の独楽』と併せてお楽しみください。

さて、桂枝女太師匠が考える「落語の時代」とは?

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悋気の独楽2 落語の時代ってどんな時代?

先輩の噺家がよくマクラで「今は昔と随分と物事が変わりまして、落語もやりにくくなりました」などと言ってました。たしかにそのとおりで、生活用具や交通機関、情報伝達の仕組みなどのハードはもちろん、娯楽や文化、雇用形態などの生活様式そのものまで随分と変化しました。

私が子供の頃の昭和40年前後から見てもえらい変わり様なのに、古典落語の時代、幕末から明治、大正、そして昭和の前期、戦争前まであたりと比べるとまるで違う。古典落語がやりにくくなり、創作落語が大いに受けるのもうなずけます。

しかし江戸時代や明治大正の落語が語り継がれ、現在でも一定の輝きを放っていることもまた事実で、そういったいわゆる出来の良い、練りに練られた落語をこれからも継承していくのも我々噺家の役目です。

そこで、古典落語の時代の社会がどのようなものであったのか、微力ながら伝え残していくのも噺家の仕事と思い、折に触れそういうことも書いていきたいと思います。

もちろん学者ではないので、間違いや思い込みもあろうし、師匠や先輩から受け継いだ落語の当時の描写が不正確な場合もある、ということは予めお断りしておきます。

そう難しく考えず、ぼんやりと昔のことが想像できれば、落語にしても歌舞伎にしてもより楽しめるのではないかと思いますよ。

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前回紹介した「悋気の独楽」という噺。現在我々が高座にかけているものは時代的には昭和の初め頃かと思われます。丁稚がおてかけさんから口止め料として貰った50銭、ごりょんさんが口を割らすために丁稚に提示した1円という金額からの考察ですが、この噺そのものはもう少し古い時代からあったものと思われます。時代と共に金銭的な感覚は変わっていきます。

その頃の社会はどんなものだったのか。この落語に出てくるお店(「おたな」と読みます)とはどんなものなのか。具体的に何を商っている店かはネタには出てきませんが、旦那さんがいて御寮さんがいて、番頭がいて手代がいて丁稚がいて、そして「おなごし」と呼ばれる女中さんがいる。時代劇に出てくる典型的な商家です。

この時代劇に出てくる「商家(しょうか)」というものを簡単にご説明いたします。

まず一番偉いのがオーナーであるご主人、いわゆる旦那さんという人。今の会社でいうと社長さんです。

ある程度高齢で息子が成人している場合は、親旦那(おやだんさん)と若旦那(わかだんさん)と呼びます。そして奥さんが御寮さん(ごりょんさん)。「おかみさん」という言い方もないことはないですが、上方落語ではあまりこの言葉は使いません。

あとは従業員です。従業員のトップは番頭さん。大きなお店では何人も番頭さんがいて、大番頭とか小番頭なんて言い方や、一番番頭、二番番頭なんて呼び方もあったようです。今でいうと課長以上から常務、専務といった取締役まででしょうか。

その下が手代(てだい)と呼ばれる階級です。これも店の規模によって何人もおります。今で言う係長、主任、班長、またはチームリーダーといったところでしょう。

そして一番下が丁稚。平社員と言ってしまうとちょっと違う。見習い社員を含む平社員といったところでしょうか。

丁稚から手代、そして番頭と出世をしていって最後は暖簾分けをしてもらって自分の店を持つ。これが当時の出世の仕方です。

この暖簾分けというのは、単に店の名前を使って良いとか、商品を回してもらえるとかだけではなく、お得意さんもある程度貰える制度でした。番頭時代に自分が開拓したお得意さんもたくさんあるでしょうから、当然と言えば当然ですが。

女中さん(おなごしさん)は女性従業員。店の仕事もしますが、上(かみ)の仕事、つまり家の仕事をしてもらうために雇っている場合が多かったようです。いまでいうお手伝いさんですな。

こちらは半年とか1年とかの期限をきっての雇用となります。派遣社員みたいなものです。その派遣元が「口入屋」といわれるところ。そのものずばり「口入屋」という落語もあります。

名前こそ違え、階級というかランクがあったり、雇用形態がいろいろあるのはいつの世も同じですが、現在と一番違うのは通いではなく原則的には住み込みということです。これはおなごしさんも同じです。

原則的にというのはそれぞれの事情で通いの場合もあったようです。たとえば所帯を持っているとか親の介護があるとか。今も昔もこのあたりの事情は同じようなものです。

悋気の独楽という落語の冒頭は、旦那さんのお帰りが遅いので御寮さんが店の間へ出て来て番頭をはじめ使用人に旦那さんの行き先を尋ねるところから始まります。もうすでに営業時間も過ぎているのに使用人全員が残っているのは住み込みという制度があるからなのです。

勤務時間はもちろん、朝から晩まで、いや一日中ずっと一緒にいるわけです。三度の食事も一緒にします。まぁプライバシーなんて無かったも同然やったでしょうね。昔からそれが当たり前やったからそれはそれで大きな問題にはならなかったのでしょうが。

そういう環境にあるからこそ、番頭から丁稚にいたるまで隠れてコソコソ遊ぶというのが大きな楽しみだったのです。それはたとえば丁稚ならおつかいの帰りの寄り道であったり買い食いであったり、ときには芝居通いなんていうませた丁稚もおります。

これが手代や番頭になると茶屋遊びや遊郭通いであったり隠れての逢引であったり・・・う~ん、これはこれで楽しそうですが。

落語の中にはそういったものを題材にした噺もたくさんあります。

当時の状況をなんとなく思い浮かべて聞いていただくと、より楽しめると思います。

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実はこの悋気の独楽という落語、演じていてどうもしっくりこない部分があります。

この落語のイメージと金銭的なものがどうにも合わない。これは他の落語にもあります。

明らかに江戸時代の噺とわかる落語、たとえば侍やお奉行さんが出てきたり、お金の単位が1両やとか、そういった落語は別にして、明治時代以降が舞台になっている落語は時代が特定しにくい。内容と金額が合わないということがよくあります。

本来古い落語なのに、時代時代の落語家がその時代に合わせて金額だけを変えていったと思われますが・・・あの、落語を聞くにしても演じるにしても、そこまで考えなくてもいいのかなとも思います。もっとざっくりでもええのかなと。

私の師匠の五代目桂文枝も、今思うとわりとざっくり系やったかなと思いますね。

「落語という芸は理屈やない。イキと間(マ)や」

師匠の舞台からはそう教えられた気がします。このイキと間がむつかしい。これにはついてはまた別に書きたいと思います。

最後に蛇足ですが、明治、大正、そして昭和初期の戦争までの時代を私は「落語時代」と呼んでいます、ざっくりと。

「鎌倉時代」や「室町時」代のように「落語時代」もいずれ歴史の教科書の年表に使っていただければいいのですが。そんなことあるわけないか。

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