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再び石巻へ 被災地で下ネタを口演~SFと童貞と落語:笑福亭羽光

笑福亭羽光

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東日本大震災から12年、干支が一回りし被災地にも日常が戻ってきていました。その最中で起きたコロナ禍。被災地の方々の心境には、どのような変化があったのでしょうか。3年ぶりに被災地である石巻市を訪れた笑福亭羽光師匠は、こう感じられたのだそう。

笑福亭羽光師匠が必要だと考えたこととは?一緒に考えていきたいですね。じっくりお読みください、

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再び石巻へ 被災地で下ネタを口演

 2023年の五月GW、仙台花座(仙台にある寄席)の出番を頂いた。

その前日に、仙台から一時間電車に揺られ、石巻に向かった。約束の地、石巻のオアシス教会で落語をさせていただくのだ。コロナ前、必ずまたここに落語しにきます……と約束して、3年近く来られなかったのだ。

僕を覚えているお客様が数人いた。震災後建てられた教会で、被災された方がイエスへの信仰を持ち、教会につどうようになったのだ。牧師様は、いつも僕がマクラでネタにしているチョウ先生、韓国から震災後日本に来られ、悲しい人に寄り添った方である。

僕はクリスチャンではないが、礼拝に参加させていただき、賛美歌も一緒に歌った。

若い新任の牧師様(韓国から来られた)の、お説教を聞いた。

僕には、聖書は難しく、使徒といえばエヴァンゲリオンの敵ですか? というレベルの知識しか無いが、牧師様の解説を聴きながら読むと、理解できた。

 礼拝の後、皆でテーブルを囲んで食事となる。皆で持ち寄った食材を料理して食べるのだ。隣に座ったお婆さんから、石巻の近況を聞く。道路の復興はほぼ完了しているそうだ。

震災から12年たつのだ。この時間は、僕が前座の終わりから、真打になるまでの期間である。長い時間だが、あの日の記憶は東京に居た僕にも鮮明にある。石巻で被災された方は、あの日から時間が止まったままの人も多く居るのだろう。

食事中、皆の会話を注意深く聞くと、年配の方の言葉は少し僕にはわかりにくい。僕がわかりにくいという事は、僕の上方落語もまた、この地域の方には難しく聞こえるのではないか……と思いながら、1時間後にこの場所で開演する僕の独演会のネタの事を考え始める。

 食事後、テーブルをくっつけて高座にし、僕の1時間の教会落語会を開催した。

一席目は古典で判りやすい【秘伝書】、2席目はクリスチャンの皆さまに僕なりの天地創造の解釈を描いた新作の【鶏と卵】、三席目は下ネタの【失われた金玉】を口演した。

自画自賛になるが、下ネタは滅茶苦茶うけた。

 僕には信仰という物があるのか無いのか判らない。イエスの事は、遠藤周作の作品でしか知らない。

しかし、日曜に、教会に集まって、イエスを信じ、皆で食事したり、歌を歌ったりするのは、凄く良い事だと思った。

少なくとも、そこでは他者と触れ合い、孤独ではない。同じ信仰を持って一つの建物に毎週集まるという目的も出来る。教会にはプロアマ問わず様々な表現者が来るらしい。劇団の人も来るし、紙芝居、アマチュアバンドの人も。三年ぶりに僕もその一人になれた。

僕が遠藤周作から読み取ったイエスは、無力で、奇跡なんか実は起こせなかった。ただ一緒に居てくれる人。悲しい人と一緒に苦しんで悲しんでくれる人……だった。

そういう芸人になりたい。……と思った。僕の私小説落語が、そういう物になれば良いと思った。

教会を出て仙台に向かう頃には、自分にとっての≪信仰≫について考え始めていた。

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