笑福亭里光師匠が入門された平成10年(1998年)ごろの大阪は、まだ繁昌亭がありません。ですから、弟子修行といえば師匠の鞄持ちや地域寄席への手伝いがほとんどでした。
一方東京は定席がありますので、寄席の楽屋での仕事が修業のメイン。この辺りが東京と大阪の大きな違いの一つです。この楽屋での修業を始めるには、あることをしなくてはならないよう。その時……。
今回も胃が痛くなること間違いなし!笑福亭里光師匠の自叙伝第13回の幕開けです。お楽しみください。
併せて鶴光一門総領弟子の笑福亭学光師匠のエッセイもお読みになると、より理解しやすいかと思います。
確信犯
こんにちは。笑福亭里光です。
3月20日の「寄席つむぎ落語会」にお越しくださり、ありがとうございました。お客様の温かい雰囲気に助けられ、僕も気持ちよく喋ることができました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
1998年6月21日から寄席の楽屋に通うことになりました。楽屋に入ると前座の4年間は休みがありません。寄席は毎日営業しているからです。
唯一31日のある月だけは休める。定席は30日間しかやらないからです。我々の世界ではこれを「余一(よいち)」と呼んでおります。
ところがこれも何か落語会や寄席の特別興行(余一会)が入ると休めない。なので前座のうちは31日に何も仕事が入らないよう祈ったもんです。仕事が入らんように願うとは妙な話ですが。
そういうことは聞いていたので、楽屋に入るまでの何もしない日々を嚙み締めようと思いましたですね。
噛み締めるも何も学生やった訳ですから、それまでも何もしない日々やったんですが。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
僕の「寄席楽屋デビュー」の初日はたしか日曜日。世間より1日早くスタートする、みたいな感じ。
金曜日のことです。夕方に師匠から電話がありました。
当時は師匠の方から電話してくるなんて無かったもんですから、妙な胸騒ぎがしたのを覚えています。
「もしもしワシやけど」。 師匠の電話は大抵ここから始まります。
「ワシってどなたですか?ちゃんと名前を言うて下さい!」といつか言ってみたいと思ってるんですが・・どんな反応するでしょう!?まぁ「舐めとんのかぁ!??」って怒られるでしょうね。
「ワシこれから大阪やからな、悪いけど君一人で米丸師匠んとこ挨拶に行ってくれるか?」。
最初何を言われてるのか分かりませんでした。
今はそんな風習は無くなったと思うんですが、当時は楽屋に入る前に会長(桂米丸師匠)のお宅へ挨拶に行かなければならなかったんです。しかも師匠が連れて行かなければならない。
要は師匠である鶴光が、僕を米丸師匠のお宅へ連れて行かなければならない。
その頃うちの師匠は、月曜から金曜まで昼から夕方にかけてニッポン放送でレギュラー番組がありました。その合間に寄席に出て、金曜の放送後に大阪へ帰る。で、日曜の夜か月曜の朝に東京に帰って来る。そんな生活でした。
ですから大阪に帰る直前に電話してきたわけです。明後日から楽屋ですからね、急すぎます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
後で分かったんですが、これ「確信犯」です。
ナンボ何でも、そんな大事なことを忘れてた訳がない。行くのが嫌だったんでしょうね、俺は東京には居ないから仕方ない!という状況を作りおった(笑)。
どうもそれからこの風習が無くなったようなので、そういう意味では鶴光が道を付けたのかもしれません(なんか納得いきませんが)。
後になって先輩方にこの話をすると、大抵の方は寒気を催すそうです。
兎にも角にも、自分だけで行かねばなりません。
どのようにアポを取ったのか(あるいはアポだけは取ってくれていたのか)、どのように(どんな交通手段で)行ったのか、米丸師匠とどんなお話をさせてもらったのか等、全く覚えておりません。
ただ、生まれて初めてあんな高級なお菓子を買うた!という記憶だけは鮮明に残っております。
里光師匠出演≪出張!弁天寄席≫
大阪市港区で1994年から2018年まで毎月第4水曜日に開催されていた「オーク弁天寄席」。ほのぼのとした寄席で、実に多くのお客さんに愛されました。その「オーク弁天寄席」が東京初上陸です!
春の麗らかな陽気とともに、ニコニコ笑いたい方におススメです。ぜひお越しください。お待ちしています。
出張!弁天寄席
日時:令和3年4月4日(日)18時開演、17時半開場
会場:らくごカフェ(東京都千代田神田神保町2-3 神田古書センター5階)
木戸銭:前売2500円、当日3000円、配信2000円(※配信URLは後日)
出演:笑福亭学光、旭堂南鱗、笑福亭里光、他
ご予約とお問い合わせ:info@yosetumugi.com 090-3940-0327