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平成7年1月開催、伝説の「春団治・志ん朝二人会」について、なぎさの会会長・小幡栄治さんにインタビュー!

ふじかわ陽子

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大阪府の北東部に位置する枚方市。この街で50年以上活動を続ける落語サークルがあります。その名も「なぎさの会」。自らが落語をするだけでなく、プロの落語会をサポートする点が大きな特徴です。

その中でも伝説となっているのが、平成7年1月31日に開催された「春団治・志ん朝二人会」です。

今回はなぎさの会会長の小幡栄治さんに、伝説の二人会のお話を中心にうかがいました。伝説となるだけある、物凄い会だったようです。

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平成7年1月31日(火)春団治・志ん朝二人会 番組

時うどん 春雨

ん廻し 志ん治

代書屋 春団治

二番煎じ 志ん朝

中入り

野崎詣り 春団治

野ざらし 志ん朝

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「最高ですやん!」で準備が進んでいった

――春若師匠が以前コラムで「春団治・志ん朝二人会」について書いてくださったんです。それで興味を持ち、協力団体のなぎさの会にインタビューを申し込ませていただきました。

僕も読みました。色々思い出したなぁ。春若師匠から「こんな話がある」と相談していただいたんです。聞いた時に「最高ですやん!」と思うたね。だって、東西の名人の二人会ですよ。ぜひ開催したいと思いました。

――主催は文化振興事業団で、協力団体がなぎさの会なんですね。

事業団はお金があっても、落語会の運営は門外漢です。それでなぎさの会に白羽の矢が立ちました。桂春若師匠と米朝事務所の協力に仰ぎ、交互にそれぞれプロデュースの落語会をしていました。今年3月に事業団が解散してしまったので、これからはどうなるか分かりません。

――米朝事務所は何となく分かります。芸能事務所ですから依頼があれば動いてくれる。でも、春若師匠は個人で?

かれこれ50年近い付き合いになるかなぁ。元々、春若師匠の下のお弟子さんの春治さんと仲良かったんです。彼を通じて春若師匠と知り合って、彼が辞めてからも付き合いが続いています。

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春若師匠との出会いが扉を開いた

――50年、親交が続くのって珍しいですね。プロの落語家は素人落語家を面倒くさがる方が多いんです。

住み分けをちゃんとしているからでしょうか。時々いるんですよ。素人落語家がプロの楽屋にズカズカ入っていって、自分もプロ気取り。そういうのが僕は嫌なんです。僕らはあくまでアマチュアで遊び。本職さんは仕事やから。

――そうキッチリ線引きしてくださる方だと、春若師匠もやりやすいでしょうね。

枚方の地域寄席のお世話もさせてもらいました。べかこ時分の南光師匠と春若師匠、春治さんが出演されるくずは寄席が最初やったかな。春若師匠が出番を割って。それから光善寺寄席ができて、何か所か定期的に開催するように。途中で小春団治師匠も加わりました。

――上方は落語の定席がなかったので、地域寄席のお世話をしてくださる方って本当に大切です。噺家さんたちも助かったやろうなぁ。

春若師匠は義理人情に厚く、分け隔てのないお方です。だから他の噺家さんたちも、春若師匠と懇意にしているなら大丈夫やろうと言うてくださるんです。それでどんどん世界が広がっていって。本当に春若師匠のおかげです。

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力と力のぶつかり合い「春団治・志ん朝二人会」

――春若師匠のプロデュースで開催された「春団治・志ん朝二人会」はいかがでしたか?

いつになく、力と力のぶつかり合いでした。申し訳ないけど、前の2人は覚えてないねん。それだけ、三代目と志ん朝師匠の高座はすごかった。気合が入っているのは、素人目にも分かったんです。

――三代目春団治師匠と志ん朝師匠、おたがいが意識し合っている感じで?

特に志ん朝師匠は、出囃子がなって出てこられただけで鳥肌が立つ。座布団に座っても綺麗、喋っても綺麗。普段聞きなれない江戸弁がスーッと入ってくるんです。江戸からお越しになる落語家さんの中ではピカイチでした。

――生で見られてうらやましい……。私、三代目の生の高座は拝見したことがあるんです。この世にこんな美しい男性がいるのかと感動しました。

そうでしょう。その三代目春団治師匠と東の名人・志ん朝師匠です。伝説にならないわけがない。開演前、楽屋に挨拶にうかがったのですが、僕たちのような素人にも腰が低い方でした。

――名人で居丈高の方っておられない印象です。どちらかというと売れてない芸人ほど、「オレは芸人だ!丁重にもてなせ!」という感じで。

それにはノーコメントで(笑)。

枚方の熱い夜

楽屋も豪華でしたよ。東西名人二人会を間近で勉強しようという落語家さんがいっぱい。七代目松鶴の襲名が決まっていた松葉師匠もおられました。

――春若師匠もコラムで書いておられましたね。お二人で志ん朝師匠をホテルまで送っていかれたとか。打ち上げは梅田の方だったんですか?

一次会は枚方の樟葉で行いました。志ん朝師匠はタクシーで移動されるかと思ったら、なんと僕のマイカーに奥さんと乗ってくださったんです。そんな高級車じゃないですよ、マツダのファミリア。志ん朝師匠は車がお好きだと知っていたから恥ずかしかったんですが、「良い車だね」とおっしゃっていただけて。これがとても嬉しかったです。

――小幡さんの気持ちがこもった車だからでしょうね。気になったのですが、樟葉に打ち上げができるようなお店があるんですね。枚方市駅付近なら分かるのですが。

二代目桂春団治師匠の最後の奥さんが小料理屋を開いていたんです。屋号はずばり「二代目春団治」。ここが一次会の会場でした。枚方で落語会がある時は、落語家さんがよく使われていたそうです。亡くなられた先代小染師匠が最後に行かれたお店だったとも聞いています。くずは寄席の出番のあと。

何人ものプロが誕生したなぎさの会

――プロの落語家さんと交流が深いなぎさの会ですが、何人ものプロも誕生しているとうかがっています。

落語家は桂小春団治師匠、タレントのタージンさんと北野誠さんもなぎさの会出身です。今も交流があって、一昨年開催されたなぎさの会創立50年の会には出演してもらったんです。北野誠さんはスケジュールが合わなかったのですが、お祝いの言葉を届けてくれました。

――良い関係が続いているんですね。プロになった途端、素人の過去を捨てる人が少なくないのに。

うちは会則も会費もなし、ゆるゆるです。僕が会長ですが、何もかんも自分で決めません。色んな人の話を聞いてから決めるようにしています。なぎさの会では役割分担ができているのが、自慢かな。デザインをする人、寄席文字を書く人などなど。

――それって強いですね。長年続けておられるのと、小幡さんの人望がそれを実現させている印象です。最後になりますが、小幡さんにとって落語とは何でしょうか?

落語がなければ、どんな人間になっていたやら(笑)。ストレスの処理を落語がしてくれているような感じでしょうか。これからも素人なりに続けていきたいです。

――なぎさの会の60周年70周年もありますしね。

僕の感覚では、半世紀も続いたら肩肘張って「何がなんでもやる!」でなくてもええかなと。今は50年を超えられてホッとしているところなんです。素人落語は世の中にあってもなくてもええもんです。シャカリキに頑張らず、ゆるゆるできることをやっていきたいと思います。もう古希やしね。

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今回は落語サークル「なぎさの会」会長の小幡栄治さんにじっくりお話をうかがいました。「春団治・志ん朝二人会」以外にも伝説の落語会に足を運んでおられ、その話がまた面白いんです。いくら時間があっても足りないほど。

小幡栄治さんはFMひらかた(77.9MHz)でも活躍中です。芸名「渚家栄都」でご出演されている「渚家栄都の寄席場いいのに」は毎月第4水曜日14時から16時まで京阪枚方市駅のサテライトスタジオから生放送!お近くの方は見学に訪れてみてはいかがでしょうか。なぎさの会の「HOTひと息ラヂオ寄席」は、毎週土曜日9時からの放送です。