文学好きでお馴染みの笑福亭羽光さん。
今回はシェークスピアやヴォネガットの作品に向き合います。文学作品でよく取り上げられるとある問いとはどんなものでしょうか。また、みなさんはどんな解釈をされるますか。
笑福亭羽光さんと一緒に考えてみませんか?
『タイタンの妖女』と『マクベス』
運命は最初から決まっているのか…という問いは、昔から何回も文学でテーマとして扱われてきた。
シェークスピア『マクベス』の、3人の魔女が予言するシーンは有名である。魔女はマクベスに王を殺したらアナタが王になれる……とそそのかす。マクベスは魔女の予言通り王になり、そして予言通り破滅していく。
ヴォネガット『タイタンの妖女』では地球の運命がトラルファマドール星人のしょうもない理由によって操られているのが悲劇的に描かれている。
運命は本当は決まっているのだろうか。
もし決まっているのだとすると、僕が今こうしてブログ用の文章を書いている事も決まっているはずだ。僕が今、パソコンを打つ手を少し止めて……窓をチラッと見た事も決まっていたはずだ。
一瞬、全てを虚無に感じる。
何をしてもその行動と結果が決められた事なら、行動すること自体が無意味だからだ。
今日働く事も、食事する事も、ブログを書く事も最初から決められ結果が見えているのなら、生き抜いて、晩年を迎える事すら意味が無いのではないか。
ヴォネガットはこうも言っている。
人生が決められて誰かに操られていたとしても、身近にいる愛される事を求めている人を愛する事が大切だ。
僕は、この言葉を以下のように解釈する。
世界は悲惨な事(コロナや地震や身近な人の死)が起こり続けるけど、それは決まってる物だから仕方ない。だから悲しみは諦めて受け入れて、誰かを愛したり親切にしなければならない。