平成10年6月に笑福亭鶴光師匠に入門された笑福亭里光師匠。以降、約4年の間、前座修業を行われました。『寄席つむぎ』では、この4年の間に学ばれたこと感じられたことをつづっていただいています。それが今回最終回!
前座修業から解放(?)された笑福亭里光師匠の心象風景は?じっくりお読みください。ご感想をお寄せいただけると嬉しいです。
圧倒的解放感
こんにちは。笑福亭里光です。
「おめでとう!二ツ目決まったで」という鶴光の言葉ほど嬉しかったことはありません。人生で一番かもしれません。
真打ちになる時が一番嬉しかったでしょ?って良く言われるんですが、二ツ目になる時に勝る喜びではない。
新宿中央公園を歩いてたんですよ。何故そこに居てたのかはよく覚えてないんですが、とにかく公園を歩いてた。そこへ師匠から電話があったんです。昇進する前年の秋でした。
思わず跳び上がって、ホームレスから冷たい目で見られた記憶は鮮明です。
4年間は長かったですねぇ。今振り返ると4年くらい大したことないですけど、当時は死ぬほど長く感じた。
前にも書きましたが、今と比べものにならないくらい(寄席の)楽屋の雰囲気が暗かった。お客さんも少なかったですしね。そこへ休みなく通ってたわけですから、そりゃ長い。苦痛に近かったかな?
それがですよ、毎日行かなくても良くなるんですから。しかも基本は自分の出番が済めば帰れるようになるんですから。嬉しくないわけがない。
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あの楽屋の暗さ(雰囲気の悪さ)は何やったんでしょうね。
当時は今ほどコンプライアンスという言葉が一般的じゃなかった。僕の入った頃は、もうそんなに理不尽なことはなかったですよ。でもまだそういう「雰囲気」を引き摺ってたのかもしれません。
パワハラなんて当たり前の世界ですから。昔の寄席なんてパワハラセクハラモラハラなんて普通に存在してたんでしょう。その当時の修行なんて大変やったと思います。
尤も、その理不尽を上手く切り抜ける(かわす)のが修行になったという面もあるんでしょうが。
まぁ考えたら「師匠と弟子」の関係なんてパワハラそのものですもんね(笑)。「師匠が黒やと言うたら白いもんでも黒なんや」ですから。
精神的・肉体的に解放されるのが「二ツ目昇進」なんです、少なくとも当時は。昇進が決まってからの残りの前座期間の記憶は殆どありません。
前座最後の日もよく覚えてません。たぶん後輩たちに祝ってもらってから帰宅したんやと思います。
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明日から二ツ目。
慣れない羽織や袴を付ける稽古をしたり、初日は何の噺をやろうか思案したり。あまり眠れなかったのだけは覚えております。
緊張してました。
でもやっぱり解放感の方が圧倒的に大きかった。
繰り返しになりますが、「雑用」しなくて良いんです。「お披露目」の興行中は「拘束時間」は長いですが、それが終われば自分の出番だけ気にすれば良い。前座のように毎日行かなくて良くなる。
その時はまさか「行きたくても行けない」日がくるとは夢にも思わなかったですが・・