令和4年11月14日に急死をされた林家市楼師匠。お酒の席でのエピソードには事欠かず、その多くがあまり良いものではありませんでした。その中でも比較的ライトなエピソードを、今回お届けします。
なお、この記事では執筆者のふじかわ陽子が林家市楼師匠を友人として描きたいため、敬称を「くん」とさせていただきます。他、登場する芸人さんたちも、ふじかわ陽子が普段使用している敬称にさせてください。
大虎を子猫に
平成17年3月29日、四代目林家染語楼師匠逝去。市楼くんは四代目林家染丸師匠の預かりとなる。
この年から3年間は、市楼くんを支えてくれていた身近な人が、どんどん離れていく時期でもあった。同棲していた市楼くんの恋人は別離を選び、市楼くんを可愛がってくれたお祖母ちゃんは鬼籍に。平成19年11月には、私が病気で高座を離れざるを得なかった。市楼くんは心理的にどんどん孤立していく。
勢い酒量が増え、飲酒によるトラブルが頻発し始める。居酒屋で見ず知らずのサラリーマンに因縁をつけたり、タクシードライバーにわがままを言ったり。
そういえば、深夜に文楽劇場付近で乗り込んだタクシーのドライバーが、落語会のお客さんだったことがあった。分かった瞬間から市楼くんは、酔っ払いの顔から「噺家」の顔に。さすがだ。

いつだったか、居酒屋でこんなことがあった。注文が揃い、店員が私の近くに伝票を置く。それを見た市楼くんがいちゃもんをつけた。
「おい、どういうこっちゃ?普通、こういうもんは男の前に置くやろ。常識的に、なぁ?」
「あの…、ご同僚かと…」
「せやけどや、これじゃまるでオレが甲斐性ナシみたいやないか?」
何の見栄や?
大虎になった市楼くんは理不尽ではあるももの、このころは相手が反撃をする素振りを見せると、途端におとなしくなっていた。可愛らしいところがある。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
逆に私が泥酔して暴れると一気に酔いが覚めるらしく、常識人として振る舞っていた。平成19年夏だったか、TORIIHALLかゑびす座の帰りだったはず。難波の立ち飲み屋で2人して安酒を煽り、業界内の噂噺やら先輩の悪口やらをピーチクパーチク。そのころ、私はかなりストレスがたまっており、何かの拍子に店を飛び出て客待ちをしているタクシーのタイヤを蹴ってしまった。怒るタクシードライバーに市楼くんは言った。
「すんまへん、キチガイですねん」
あんたに言われたない。

泥酔して夜中に電話をかけてくることも増えた。初めのころはまだ内容が理解できるものだった。ちゃんと「おはようさん、市楼です」と挨拶もしていた。それが、「おう、市楼や!」になり「なんしとん?」に変化。最終的には何を言っているのか分からなくなる。
夜の23時~25時に間にかかって来る市楼くんからのクソのような内容の電話、通称「クソ電」は、私が病気休業してからも続いた。むちゃくちゃなことばかり一方的に話すが、最後に「早よ帰ってこい。みんな待っとるから」と必ず言ってくれる。だから着信拒否が出来ない。
迷惑極まりないクソ電だが、腹の立つことばかりではない。そもそも、私は病気療養のため引きこもり生活を12年間も続け、芸人どころか家族にもほとんど会わない生活を送っていた。それなのに「何でオマエが知っとんねん?」と言われるほどよく演芸界のことを知っているのは、このクソ電のおかげなのだ。おかげで浦島太郎にならずにすんだ。有難い。
本来のクソ電の目的はこれだったはず。なのに酔うと訳が分からなくなる。いけないね。

実は、泥酔して大虎と化した市楼くんを子猫にする魔法の言葉がある。苦労の末に見つけ出した。何かの時に使ってほしい。その言葉とは、「お母さんによく似てるね」だ。聞くと途端にはにかみ笑顔になり、お利口さんの市楼くんになる。
市楼くんはお母さん大好きっ子。お母さんの話題が出るだけでとても嬉しい。
せやったら、もっとお母さんに優しくすればええのに。分からんやつだ。
つづく
