SNSの発達により情報交換がスムーズになった反面、言葉尻を捕らえて叩く風潮になってきています。今回、笑福亭羽光師匠にこの問題についてつづっていただきました。笑福亭羽光師匠はどんな問題意識を抱いておられるのでしょうか?
あなたはどう考えますか?じっくりお読みください。
芸人の発言がたたかれる事について
芸人の発言がたたかれるようになった。今回はたたかれたら怖いので、具体的な事案や名前は出さないように書くが、このブログを書いている現在はオリンピックのさなかで、ラーメンズの小林君が過去のコントの内容により演出を外されたことは記憶に新しいだろう。
落語家である僕も発言には最新の注意を払っている。僕の青春時代を描いた私小説落語シリーズは淡い童貞時代の事を描いているので、性的表現がある。いわゆる下ネタである。今までは放送に乗せる時、この下ネタを最大限注意してきたが、今後はそれ以上に多くの事を注意しなければならないだろう。
≪差別発言≫である。
色んな差別がある、人種差別、性の差別、容姿の差別。落語やお笑いは皆何らかの差別を含んでいる。
自らもハゲていて、ハゲネタを中心にやる某漫才師の元に、人権団体から苦情が来た事があったという。自分の容姿をネタにする自虐ネタも問われる時代である。
そもそも≪笑い≫には多かれ少なかれ≪差別≫が含まれているのだろう。更に深く考えると、落語は、差別する感情を含めた人間の醜さを全て肯定し優しく包んでいると思う。家元のお言葉≪業の肯定≫である。
つまり、人間は、差別するし、他人を見下して笑って安心するような、ダメな生き物ですよ。でもそんなダメな人間って愛らしいでしょ、許しましょうね……という思想である。
僕は今の世の中に本当にこの落語の持つ寛容さが広まったらいいのにと切に願う。≪許す≫という気持ちが世間に求められていると思う。
僕や他の落語家がオリンピックの演出というような国家プロジェクトにかかわることは、まあ無いだろうが、記録の残る落語会や収録等での発言は更に気にしようと思う。