長く落語家をしていると、壁にぶち当たることがあります。六代目笑福亭松鶴師匠はそれを見越して、お弟子さんたちに伝えていたことがあるのだそう。これは落語家に限らず、他の職業でもいえることかも知れませんね。
今回は六代目笑福亭松鶴師匠の教えと、基礎ネタの『寿限無』について笑福亭鶴光師匠につづっていただきました。笑福亭鶴光師匠が学校寄席で体験したことも。お楽しみください!
基礎が肝心
師匠がよく言ってました。
「噺家は味方は作らなくてもいい、しかし敵は作るな」
昔から友情は悲しみを半分にし喜びを倍にする、でもこれは噺家同士には当てはまらない。全員が敵でありライバル、抜いたり抜かれたり。
ある時松鶴師匠を乗せて運転してると前の車を抜けと言う抜けませんと答えると、
「あの車が三枝(現文枝)と思えば抜く気に成るやろ」
成程抜けました。
「芸にぶち当たった時は原点に戻れ」松鶴の口癖です。
これは原点を自分の中に持っていなければ駄目やし、それが何か判らなければこの言葉は死語となる。
私を含めて弟子の数人は奥様(通称あ~ちゃん)に芸の基礎である三味線(梅は咲いたか)を教えて頂きました。元一流芸者ですから日本舞踊・端唄・小唄・民謡・都々逸と、何でもこなせた。
晩年は日本舞踊を劇場で披露して我々も応援に行きました。あの時のあ~ちゃん生き生きしてたなぁ、綺麗やったな。松鶴がポ~っとなるのも理解できる。
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ご夫婦で今里新地の飲食店に訪れる際は、お供で私も付いて行く。
あ~ちゃんは新町の一流芸者の出身ですから、後輩が多い。今里新地にもお茶屋が在って、芸者さんが行き交っています。あ~ちゃんを見かけると
「姉さん、こんばんは」と挨拶をする。
松鶴が酔っぱらって、その芸者さんに卑猥な言葉を投げかけてからかうと、奥さんが怒って「もうあんた帰り」。
これに逆上した師匠が
「それが亭主に言う言葉か」
と入れ歯を外してどぶ(溝の中)へ投げ込んだ。
その後は「おい鶴光拾え」と。
私がどぶの中に手を突っ込んで、何とか拾い上げると
「この入れ歯高いのや、洗えば又使えるこれでは本間の噺家(歯なしか)やがな。ガハハハ」
私の手が臭い事は笑い事やおまへんで。
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落語の基礎は『寿限無』とされてます。これは東京も上方も同じです。
最も大阪は物知りの甚兵衛さんが教え、江戸はお寺の住職と言う違いは有りますが。芸道に行き当たったらもう一度寿限無からやり直せ。
この頃は
『にほんごであそぼ』と言うテレビ番組の影響で子供も皆言えるそうですな。
寿限無 寿限無 五劫のすりきれ(本当は擦り切れず上方落語では擦り切れん)
海砂利 水魚の 水行末 雲来末 風来末 食う寝る所に住む所
やぶらこうじ ぶらこうじ
パイポ パイポ パイポのシュウリンガン シュウリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助
これは非常にお目出度い言葉で、まず寿限無。「寿」には命、生命というのが含まれてる。だから命に限りがない不老不死。
五劫は、天女が三千年に一度下界へ降りて来て岩を袖で撫ぜて、この岩が擦り切れてしまうのが一劫。これが五劫ともなると、とてつもない長い時間。「海砂利」「水魚」は海の砂 水の中の魚は取りつくせない。
雲来末・風来末は雲の行く末・風の行く末は、非常に広大無辺。何事も変わらずに幸せが続きますようにと言う願いです。
食う寝る所に住むところ、人間一番大切なのは衣食住。やぶこうじと言う植物は生命力が強い。
昔パイポと言う国(落語の中の架空の場所)にシュウリンガンと言う王様とグーリンダイと言う御妃ものすごく夫婦仲が良かったこの二人に出来たお姫様がポンポコピー様とポンポコナー様、両方とも頭脳明晰。
長久と長命合わせて長久命。親を長く助ける「長助」と言う意味だと先輩から聞きました。
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今「学校寄席」と言う仕事が急に入ってきました。小学校の教科書に『寿限無』と言う落語が載ったんですな。
その影響で小学校・中学校・高校と芸能鑑賞会と言う名目で、噺家の需要が増えたのは有り難いのですが、小学生に落語が判るのかな?大人でも判らない人が居るのに。
最初、東京の噺家と合同公演。まず初めに校長先生の挨拶がありまして、みなそれぞれ特徴がありますと説明してくれました。
「今日は私の大ファンの鶴光師匠が来てくれました。もう感激です。まぁ皆さんにとっては興味の無い方ですが」
それは余分やろ。
その校長先生が楽屋に訪ねて来て、もう少年の様な眼差しで
「いやぁ昔深夜放送をよく聞いてました。中学の時に校長先生が、君たちこの頃オールナイトニッポンと言うものをよく聞いてるらしいが、まぁ止めなさいとは言いませんが土曜日の鶴光だけは聞かないようにと名指しで言われてましたよハハハハ」
あんたも今校長や。
松鶴も学校寄席に行った事があります。
担任の先生が
「本日は上方落語の大御所、名人・笑福亭松鶴師匠が当校に来てくれました。私は落語が大好きで、今日もこうして米朝落語大全集を持ってまいりました。後で松鶴師匠にこの本へサインを頂きたいと思います」
師匠が吐き捨てる様に「誰がするかい」。