上方の思い出

ふじかわ陽子

【追悼】①勝手に心臓を止めたアホ~林家市楼師匠と共に過ごした日々:ふじかわ陽子

令和4年11月14日に林家市楼師匠が極楽座へ出演のため、旅立たれました。享年42歳。 上方講談師だった寄席つむぎ代表のふじかわ陽子は林家市楼師と同期で、芸人時代から今まで長い間親しくさせていただいています。ただ、令和2年12月に何度...
笑福亭仁嬌

稽古やあ・その2~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

笑福亭仁嬌師匠の師匠、笑福亭仁鶴師匠は売れっ子。ですから、お稽古の時間がなかなか取れなかったのだそう。忙しい中、お稽古をつけていただいたことは大切な思い出になっているとのこと。その時の思い出をつづっていただきました。 笑福亭仁鶴師匠...
笑福亭仁嬌

師匠の稽古やあ~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

令和3年8月17日、笑福亭仁嬌師匠の師匠、笑福亭仁鶴師匠が極楽座へ旅立たれました。笑福亭仁嬌師匠が入門されて44年、たくさんの思い出があるそうです。 今回は笑福亭仁鶴師匠のお稽古についてつづっていただきました。初めてのお稽古は突然だ...
広告
笑福亭仁嬌

グループ寄席あつめやあ~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

グループ寄席あつめをご存知でしょうか?昨年亡くなられた四代目旭堂南陵先生が設立され、各地に地域寄席が設立されるきっかけともなった集まりです。笑福亭仁嬌師匠もメンバーで、各地の地域寄席にご出演なさったのだそう。 その時の想い出を、笑福...
笑福亭仁嬌

初舞台やあ~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

初舞台は人生で一度きりのもの。笑福亭仁嬌師匠ももちろん経験しておられます。その記念すべきデビュー戦の思い出をつづっていただきました。 笑福亭仁嬌師匠が20歳ころで、今から40年ほど前のお話です。あなたはそのころ、何をしていましたか?...
笑福亭仁嬌

芸名やあ~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

落語ブームのころ、トップを走り続けていた笑福亭仁鶴師匠。その笑福亭仁鶴師匠に弟子入り志願をしたのが、高校生の岡塚少年。のちの笑福亭仁嬌師匠です。入門の際のエピソードはこちらから。 入門を許されると、いよいよ弟子修行が始まります。同期...
笑福亭仁嬌

入門やあ~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

プロレスを愛して50余年の笑福亭仁嬌師匠。落語家になっては44年です。リングと座布団という四角いジャングルで戦うのは、同じではないでしょうか。 今回は四角いジャングルの一つ「座布団」の上に乗るまでの経緯を、笑福亭仁嬌師匠につづってい...
笑福亭学光

【特別寄稿】本妻の弟子から師匠鶴光へ:笑福亭学光

この『寄席つむぎ』開始時から、毎週月曜日に思い出を連載してくださった笑福亭鶴光師匠。その笑福亭鶴光師匠の一番弟子の笑福亭学光師匠が、『寄席つむぎ』に寄稿してくださいました。六代目笑福亭松鶴師匠との思い出をつづってくださった、笑福亭鶴光師匠...
桂枝女太

⑲運命の出会い~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

年季中からテレビやラジオのレギュラー番組があった桂枝女太師匠。イケイケでさぞかしモテていたと思いきや、引っ込み思案な性格がわざわいして……。それでも運命の出会いは訪れます。 今回はそんな桂枝女太師匠の運命の出会いについてつづっていた...
桂枝女太

⑱取材~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

テレビ番組のレギュラー、そしてラジオ番組のレポーターと順風満帆な若き日の桂枝女太師匠。それでも真面目に仕事に取り組めば取り組むほど、苦労はつきないそう。今回はラジオ番組のレポーターをされていた際のご苦労についてつづっていただきました。意外...