三遊亭はらしょうさんは平成21年、三遊亭円丈師匠に入門。三遊亭はらしょうさん31歳、三遊亭円丈師匠は65歳の時のことでした。紆余曲折を経て落語家を目指した三遊亭はらしょうさんと、円熟味を増していた三遊亭円丈師匠に、どのようなやり取りがあったのでしょうか?
前回も併せてお読みください。
「お茶を入れてくれ」
原田亮は、その日から円丈の寄席の出番は勿論、独演会にも足を運んだ。CDも全部買い揃えた。そして、弟子入りしたいと考えはじめていた。
数カ月後、覚悟を決めた原田亮は、劇場の外で出待ちをしたり円丈の自宅まで訪ねたりした。勇気を出して初めて円丈宅に行った時に、原田亮はこう聞かれた。
「君は、ネタが自分で作れるか?」
それが円丈への弟子入りの条件だった。
後日、原田亮は一人芝居で自ら作ったネタを落語風にアレンジして再度、円丈宅を訪れた。演劇時代に受けたどんなオーディションよりも緊張しながら、円丈の目の前で、身振り手振り汗をかきながら必死に演じた。
ネタを聴いているのか聴いていないのか、円丈は途中から背を向けて、ただ、庭にいる鯉を眺めていた。ネタを終えた原田亮は、審判が下されるかの如く、じっと円丈の答えを待った。鯉を眺めていた視線から、そのままゆっくり振り返って、円丈は原田亮を見た。
「うん、思ったより、レベルが高い」
ヤッター!意外な感想に天にも昇るような気持だった。だが、すぐに円丈は言った。
「でも俺も歳だ、これ以上、弟子は取らない」
拍子抜けしそうになった。諦めて帰ろうかと思っていたが、次の瞬間
「お茶を入れてくれ」
突然、円丈はそう言った。原田亮は困惑しながらも、円丈宅の勝手が分からない台所に向かった。
「そこのポットのお湯を使ってくれ」
言われるがまま、まるでゼンマイ式のからくり人形のような動きでお茶を入れた。円丈は何も言わず、出されたお茶を静かに飲み始めた。長い沈黙が続いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一体、今、どういう状況なのだろう?何か話しかけた方がよいのだろうか。原田亮は、ただ静かにお茶を飲む円丈を見ているしかなかった。
その時、玄関のドアが開いて、円丈のおかみさんが買い物から帰って来た。空気が変わった瞬間、円丈がおかみさんに言った。
「こいつ、弟子にする」
おかみさんは「はい、どうも」それだけ言って台所の方へ行った。何が起こったのか判然としなかった原田亮に、円丈は言った。
「明日、朝、9時半に来い」
えっ、どういうことなのだ、弟子になれたのか、あの、すいません、僕、弟子になったんですか?とは聞けなかった。
翌日から円丈宅に行くことになった。そして何日か経って、円丈はポツリと呟くように言った。
「お前の芸名だけどな、はら生ってのはどうだ?」
はらしょう?
どういう字を書くのかも分からないが、まず、頭にはロシア語が浮かんだ。
「円丈の弟子だから本当は、はら丈だが、はら生の方が響きがいい、はら、は平仮名、しょうは、生きる、俺の師匠の三遊亭圓生の生だ」
ロシア語ではない。あの圓生からの「しょう」だ。これはショーではない、現実だ。原田亮は興奮した。
帰り道、その時、一緒にいた兄弟子に言われた。
「いい名前貰ったなぁ、ミュージシャンみたいだね」
どういうことなんだろうと首をかしげていると、兄弟子は楽しそうに「浜省みたいじゃん!」そうか、確かに響きは似ている。
「誰もがオオオオ~泣いてる~♪」兄弟子は突然歌い出した。原田亮もそれに続けた。
「涙を人には見せずに~♪」
最寄り駅まで兄弟子と二人、浜省の話で盛り上がった。
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以上が、俺のプロフィールである。ロシアは全然関係がないことが分かって頂けただろうか。
えっ?結局、はら生が、今は平仮名になっている理由は?一時期、カタカナだったのは何故か?あと、三遊亭の亭号が消えていたのは?
分かった、ちょっと待ってくれ。それを書くと長くなるんだ。
ちゃんと次回、説明するから。本当だよ。
事実は小説よりも奇なり。今回は、三遊亭はらしょう物語、エピソード1でございました。