二ツ目時代を人気落語ユニット「成金」で共に過ごした、笑福亭羽光さんと神田伯山先生。神田伯山先生がポンコツ前座と呼ばれていたエピソードは有名ですが、一体どんな前座時代だったのでしょうか?
10年の時を経たお二人には変化したことはもちろん、変わらないこともあるようです。
今回も笑福亭羽光さんならではの視点からつづっていただいています。お楽しみください!
スタンドバイミー神田伯山との前座修行
今をときめく人気講釈師神田伯山さんが、ご自身のラジオ『問わず語りの神田伯山』でほぼ全編僕の話をしてくれた。前座の時は二人でポンコツ前座で怒られてたけど、頑張ってNHK落語大賞を受賞した話を面白く喋ってくれた。翌日、ツイッターのフォロワーが増え、落語会の集客も増えた。
伯山さんのラジオは本当に面白くて、何処か懐かしくて、家で爆笑した。そして感謝で涙が出た。やはり前座仲間を引っ張ってくれるんだなと思った。
僕は、お笑い芸人と作家を挫折して34歳で入門した。入門前は鬱だったが、楽屋仕事でお茶を出したり太鼓をたたいたりして走り回っているうちに鬱はなおってきた。
楽屋入りから一年後位に、松之丞(後の伯山)が入ってくる。
芸は良いけど楽屋仕事の出来ない前座でよく怒られていた。大御所U師匠の袴がたためなくて、僕はビンタされた。松之丞は中入り太鼓がたたけなくて、「ぶち殺すぞ!」と怒鳴られていた。僕は稽古して袴をたためるようになったが、松之丞は中入り太鼓を、稽古せず下手なままだった。
太鼓の稽古会で、いつもやり玉にあがるのも、僕と松之丞と小笑兄さんだった。松之丞はその分講談の稽古をしていたのだろう。
苦しい修行の中で、前座部屋で休憩中や、帰りの電車で話してくれる伯山さんの話は本当に面白かった。「羽光兄さん、こないだこんな事があったんですよ」と低音で語る松之丞視点の楽屋噺は情景が目にうかぶようで常に爆笑していた。彼のしてくれる話は、疲れた僕の心を癒してくれたのだ。
今回、自宅のパソコンで聴いた伯山さんの喋りは、あの頃のままだった。浅草演芸ホールの前座部屋で作業着だった着物に着替えながら、僕に話してくれていたあの頃のままのトーンだった。僕はそのノスタルジックさに、爆笑して涙を流したのだ。
今をときめく人気講釈師の話を10年前、楽屋で、ただで、しかも僕だけが日常的に聴けた事……こんな贅沢な前座修行をおくれた事を今は、神に感謝している。