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中国蘇州に行ってきた 後編~SFと童貞と落語:笑福亭羽光

笑福亭羽光

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今年の秋、笑福亭羽光師匠は昔昔亭A太郎師匠と中国蘇州に公演で赴いたのだそう。出国まで色々とあったのは、前編をご覧ください。

さて、現地ではどんなことが起きたのでしょうか。笑福亭羽光師匠の中国漫遊記(?)、お楽しみください。

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中国蘇州に行ってきた 後編

このブログを書いている11月28日現在。まだ一か月しかたっていないのに、中国蘇州に行ったのは随分前のことに感じる。

蘇州到着の翌日、10月17日、日本語が出来るガイドさんについてもらい、一日観光の日をもうけてもらった。

寒山寺で、あの有名な漢詩の説明を受けた。

A太郎兄さんと、小舟に乗り街の風景を楽しんだ。

現金を使用する事がほとんどなく、どんな小さな店でも、どんな老人でもスマホ決済の国だ。

僕らは自分達だけでは買い物も出来ないので、ガイドさんに買いたい物は買ってもらい、後で清算という流れになった。

僕は、サトウキビのジュースを飲んだ。青臭い風味で甘い飲み物だった。

70代の頑固そうな老人の居る店で、散髪した。まわりを刈り上げてトップをすいてくれ……とガイドさんに通訳してもらった。日本の千円カットよりはうまいと思った。後で聞くと日本円にして400円位だったそうだ。

昼食は、食べきれない位の量が出たが。僕は鮮魚という淡水魚を甘辛く揚げたものが気に入った。

蘇州の街は日本企業が多く、日本人街もある。

街中の雰囲気は、一昔前の関西に凄く似ている。

日本で中国の観光客の団体に出会うと、大阪のおばちゃんの旅行集団のようで、辟易する時がある。しかし、中国蘇州で街の人や観光客と会うと、地元大阪に帰ってきたような温かさを感じる。みんな人懐っこく、親切だ。

そして何より、バブル前の日本のような活気がある。人口も多く、頑張って働いたら働く分だけ豊かになり幸せになれる……かつて僕たち日本人が1980年代に感じていた感覚があるような気がした。

近年、都会では子供を作らない選択をする夫婦も増えてきているらしいが、日本と比べると凄い人口である事は実感できる。

ちょうど、処理水の問題で、日中関係がややこしい時期だったが、街の人達は、そんな事など微塵も感じさせないほど気さくで、日本人に対して偏見を持っていないようにみえた。

翌日 10月18日、中国到着3日目にしてついに、学校公演。すっかり、観光に来た気分になっていた。

日本人学校なので、いつも通り、A太郎兄さんと最初トークして、一番太鼓や追い出し太鼓の体験コーナー。ハメ物解説、小噺、僕の【狸さい】A太郎兄さんの【皿屋敷】と慣れた流れである。

僕はA太郎兄さんが、【皿屋敷】を口演したり、蕎麦の仕草を子供たちにさせていじって笑いをとっているのを、虚無な表情で見ていた。子供たちは、そんな僕の素の表情を見て、不思議に感じていたのかもしれない。

僕は一人では子供たちと明るく触れ合う事は出来ないし、いじって笑いをとる事も出来ない。全てA太郎兄さんがやってくれる。すごく楽だ。

多分、僕は人前でニコニコ出来ないからだと思う。

もし、A太郎兄さんが居ないで、一人で学校公演で体験コーナーやらないといけない日がやってきたら、きっと笑いをとらない学術的な学校公演に切り替えるだろう。

その日は、打ち上げで、酔っぱらって、先生方の前で熱く教育論を語ってしまった。恥ずかしい。

翌日10月19日、朝早く起きて、日本へ向かう。

帰りの飛行機は、スムーズに乗れた。

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