抑圧を受け続けると、負のエネルギーが生じるもの。そもそも人間は自我を持ち、自分の考えで行動を起こす生き物ですから。これを抑圧されると、本来自分で起こすべきだった行動が内側にたまりにたまっていきます。
思春期の笑福亭羽光さんも内側に負のエネルギーが溜まってしまったことがあったそう。そんな時、笑福亭羽光さんが取った行動とはなんだったのでしょうか?あの頃を昇華し、今があります。一緒に思い出してみませんか?
少年だった僕は負のエネルギーを持っていた
犯罪の動機を考えるとそこに人間が見える……という名言がある。松本清張の小説を読んで人間ってこういう部分あるよな……と人間というものを再認識する。
小説【天城越え】
主人公の少年は、母と叔父の情事を目撃し、嫌になり家出する。旅の途中、一人旅している娼婦と出会い、しばらく共に旅する。土工と娼婦のセックスを目撃した少年は、母の事を思い、また性衝動を感じ、土工を殺す。なんとも内面的な不可思議な動機だ。理解出来ない人もいるかもしれない。しかしこの理由無き精神の大爆発は、フロイトのいうリビドーで理由付け出来る。
僕にも、抑圧された家庭環境の中で爆発しそうな性衝動というのがあった。両親教師で常に成績の事をグチグチ言われ、テレビのお笑い番組も見せてもらえない。祖父母は村の顔役であり、町内全員知り合い……。何処にも逃げ場が無い。中学生高校生の僕の精神は爆発寸前だった。
一度、夜中にこっそり家を抜け出して自転車で駅前の商店街を走り回った事があった。何故そんな事をしたか自分でも謎の行動である。しかしその根底にあるのはリビドーだった事は間違い無い。もしその時、女性が一人で倒れていたらどうしただろうか。性交しようと迫っていたかもしれない。犯罪に巻き込まれたら加担してしまったかもしれない。
自分では抱えきれない、処理出来ない、溢れんばかりの負のエネルギーを、思春期の僕は持っていた。
ラジオやお笑いと出会わなかったら、大人になるまで負のエネルギーを持ち続け犯罪に走ったかもしれない。その頃僕は松本清張も読んだ事無かったし、もちろん【天城越え】という作品も知らなかった。中高生の時にこの作品を読んだらどう感じただろうか。犯人の少年を自分に重ねただろうか。気づかなかったかもしれない。僕が自分を客観的にみられるようになるのはもっと大人になってからであった。